2014年11月10日月曜日

駆け出しのころ/鹿島常務執行役員海外事業本部長・越島啓介氏

米国留学を終えて帰国したころの一枚。誕生日に職場の仲間がケーキで祝ってくれた。

 ◇自分で考え工夫するのが楽しい
 入社して最初に配属されたのは東京・赤坂の建築現場です。ここで担当した仕事はかなり泥臭く、一生懸命にやりつつも、「これはやりたかったことではない」と思い、会社を辞めようかとも考えていました。一方で「働いてお金をもらうとはこういうことか」とよく分かりもしました。現場所長は社内で「鬼所長」と言われていた方でしたが、私をよくかわいがってくれました。
 そうした国内の現場で経験を積み、入社5年目に米国の現場へ赴任しました。私は新しい世界に放り込まれて、自分でジタバタしながらやるのが好きです。だから「海外に行くか」と言われ、二つ返事で「行きます」と答えたのを覚えています。それに米国は行ったことのない憧れの地でした。
 ロサンゼルスで1年ほど中小規模の現場に携わった後、オレゴン州ポートランドに赴任しました。NECオレゴン工場の現場でプロジェクトマネジャーを務めるためです。何でも自分で考えなければならないのは大変でしたが、非常に良い経験となりました。
 1年半後、今度はロサンゼルス美術館のパビリオン建設でプロジェクトマネジメントを担当しました。特殊なデザインで、設計図面通りでは施工が難しい建物でしたが、国内の現場経験が大いに役立ちました。
 この現場が終わると、会社の留学制度を利用させてもらい、MBA(経営学修士)を取得する米国の経営大学院に進みました。会社で施工部門の社員が経営大学院に留学するのは前例がなかったのですが、この時も新しい世界に飛び込んでいくことに迷いはありませんでした。ですから、会社に入ってからの私は常に駆け出しのようなものでした。
 最初から「これはこうやるんだ」と決めてしまったり、言われたことだけをやったりしていては、自分の頭を使わず、面白くもありません。自ら考え工夫する中にこそ面白さがあると思っています。
 私の若いころは、経験・勘・度胸の「KKD」は悪いものだと言われ始め、マニュアルで仕事をするのが広まり始めた時期と重なります。ですが、きちんとしたものに裏付けされたKKDは絶対に必要です。それが無ければ新しい挑戦などできず、予期せぬことが起きた時にも対応ができません。
 若いころは泥臭い仕事でも我慢して頑張り、やすきに走らない。そして好奇心を持ち、自由に発想する。これが若い人たちに伝えたいことです。一生懸命に仕事をしていれば、必ず見えてくるものがあります。
 (こしじま・けいすけ)1978年東大工学部建築学科卒、鹿島入社。91年スタンフォード大経営大学院修了。03年カジマインターナショナル社長、05年カジマUSA社長、09年鹿島執行役員、10年海外事業本部長、12年常務執行役員。石川県出身、58歳。

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