2014年12月1日月曜日

駆け出しのころ/大成建設取締役常務執行役員建築総本部長・村田誉之氏

 ◇海外勤務で「あきらめない」学ぶ  高校1年生の最後に、将来進む道を考えながら街を歩き、ふと目に入ったのがたくさんの建物でした。それが、建築の世界に進もうと思ったきっかけです。  1977年、大成建設の入社式は、当時、銀座にあった本社で行われました。総勢119人の新入社員は、ホテルでの昼食会の後、桜が満開の中、航空自衛隊熊谷基地での研修となりました。建築施工の新入社員は私を含め28人。今も全員の顔と名前が一致します。その後、1カ月間の現場研修を経験しました。当時の研修日誌は今も残してあり、ページをめくると早く第一線で働きたいという思いが伝わってきます。  最初に正式配属された現場は千葉県内の大学キャンパスで、工事全般を担当しました。何も分からない中、教育熱心な先輩に出会い、その背中を見ながら無我夢中の日々でした。現場の仕事は、毎日一歩ずつ進んでいく地味なものでしたが、竣工時にそれまでの苦労がすべて報われることを実感できました。  二つ目の現場はマンションでした。大勢の社員がいる中で、仮設・躯体工事を担当しましたが、職場の雰囲気にうまくなじめず、「このままこの仕事を続けてよいのか?」と将来に不安を感じていました。ところがある日、協力会社のいつも厳しい世話役が、私のことを「頼りにしているよ」と言ってくれて、悶々(もんもん)とした気持ちが吹っ切れました。  そして東京に異動となり、銀座、八重洲口、京橋の工事を経験しました。東京はとにかく忙しく、上司から指導を受けるというよりも、自分の力を試されているようで必死でした。拘束時間が長い中、そこで仕事の厳しさとやりがいを学びました。  その後、新婚早々の1982年、マレーシアのクアラルンプールに単身赴任し、地上28階建てのオフィスビルで高層棟を担当しました。初めての海外勤務と大規模現場でしたが、早く竣工させて日本に帰りたいという気持ちで、夢中に働きました。現地では、異文化の中で衝突することもありましたが、喜怒哀楽のある生活は人間的にも大きく成長できたと思います。  この海外の2年間で、決してあきらめないことの大切さを学び、仕事が心から楽しくなりました。この建物は、私にとってまさに「地図に残る仕事。」です。  (むらた・よしゆき)1977年東大工学部建築学科卒、大成建設入社。96年東京支店作業所長、03年同支店工事部長、09年大成建設ハウジング社長、11年大成建設執行役員関東支店長、13年4月常務執行役員建築総本部長兼建築本部長兼社長室副室長、同年6月取締役。埼玉県出身、60歳。


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