2015年1月19日月曜日

駆け出しのころ/西松建設執行役員土木事業本部副本部長・梅田一成氏

 ◇先輩から受け継いだ技術を伝承  小学5年生の時、社会科見学で球磨川水系の荒瀬ダム(熊本県)に行きました。このダムの施工者は西松建設で、他にも球磨川水系で多くのダムを施工していると聞き、将来はこういう仕事をしてみたいと思うようになりました。  そうして大学で土木工学を学び、入社試験は西松建設だけを受けました。入社できてすぐに配属されたのは、小学生の時に憧れたダム現場。ですが、本体工事ではなく原石山の工区でした。  続いて担当したトンネル工事では、掘削後に地山の変位が収束しないため、基準点が移動してしまい、毎日がセンター測量の連続でした。これには大変苦労しました。後で知ったのですが、全国でも珍しいトンネルで、今後こういったことはないからと教えられました。  それから本社の土木設計部に配属されたのですが、海外の地下鉄工事が最盛期になるということで、その現場に赴任して設計を担当しました。  地山が悪いため、坑内から薬液注入を行って掘削するトンネル工事で、私がその地盤改良の設計をしました。ところが順調に掘削が進んでいたある日、路面電車も走る地上のメーン道路が陥没する事故を起こしました。幸い、けがをされた方はおらず、すぐに復旧できたのですが、道路や電車を利用されている方々や事業者に多大な迷惑を掛けてしまいました。  陥没の原因を調べてみると、潮の干満が影響していたことが分かりました。大潮の日、地盤に注入した薬液も流れてしまっていたのです。トンネルは海岸線からかなり離れており、もともと干満の差があまりないところでもあったため、そこまでは考えが及びませんでした。土木構造物は自然状況をよく把握し、施工面のことも十分に考えて設計しなければならない。それを大きな教訓として学びました。  これまで多くの先輩から仕事のやり方や安全管理などについていろいろなことを教えてもらってきました。何か起きた時にどう対処するかも含め、今後も社内の施工技術委員会を構成するダム、トンネル、シールド、明かりの4委員会などを活用し、若い人たちに技術を伝統として引き継いでいきたいと考えています。  現場の職員は大変忙しく、人手が足りない状態です。検討事項だけでなく情報量も多く、以前とは異なる質の高さが求められています。だからこそ、基本に沿った安全と品質の管理を行うことが必要なのです。  (うめだ・かずなり)1979年中央大理工学部土木工学科卒、西松建設入社。06年中国支店次長、08年横浜支店次長、10年関東土木支社副支社長、12年土木事業本部副本部長、13年執行役員。熊本県出身、60歳。

最初に配属された現場で、近くの猟師が射止めたクマと(後列中央が梅田氏)

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