2015年2月23日月曜日

駆け出しのころ/五洋建設取締役執行役員土木部門土木本部副本部長・野口哲史氏

 ◇自分が好きで責任持てる仕事を  中学から大学までサッカーをやっていたこともあり、学生時代から皆で協力して何かをやるのが自分の性格には合っていると思っていました。五洋建設のことは当時上映されていた高倉健主演の映画「海峡」でしか知りませんでしたが、特徴ある建設会社に入ろうと就職先に選びました。  入社して最初に配属されたのは本社土木設計部でした。半年ほどたって東北支店の技術課に異動し、入社3年目になって初めて現場に出ます。学生時代に専攻していた山岳トンネルの工事でした。それから3年ほどの間に下水道、防波堤、高速道路橋脚の工事を次々と経験させてもらいました。若い時にいろいろな工種を経験できたことは視野を広げる上で大変ありがたかったと思っています。  最初のトンネル現場は豪雪地帯にありました。ある日、先輩から雪が降る前に坑口近くの仮設ヤードの写真を撮っておくよう指示されました。私はその意図が理解できませんでしたが、その冬初めて雪が一気に積もると、どこに何の資材を置いてあるかが全く分からなくなったのです。必要な資材を雪の中からかき出し、坑内に搬入する時にこの写真が威力を発揮したのです。不利な環境ではあっても知恵で克服できると教えられました。  29歳の時に再び本社勤務となり、しばらくは陸上土木を担当します。しかし、海上土木の分野にどうしても行きたくて上司にそれをお願いしました。32歳のころでした。これが大きな転機となり、それから関西国際空港2期、中部国際空港、羽田空港D滑走路の各プロジェクトに携わることができました。希望を受け入れてもらえたことで格段にモチベーションが上がりました。  かつて上司から言われたことで、今も鮮明に覚えていることがあります。お客さんを訪問する手土産にショートケーキを5個買ってくるよう指示され、私は言われた通りに買ってきたのです。ところが奇数なので箱の中にスペースができてしまい、「これではケーキが動いて崩れてしまう。もう1個買い足すことに気付くべきだね。費用は大した話ではない」と注意されたのです。つまり前提条件は常に変わるもので、その都度何を優先するべきかまず自分で考えろということです。これには「俺は気が利かないなぁ、段取りとはこういうことか」とハッと気付かされたものです。  若手には自分が好きで責任を持ってやれる仕事を見つけてほしいと思います。もともと私は周囲の人と議論して問題を解決して行くことが自分の性に合っていたのですが、先の展開を読め、前提条件を疑えと教えられ、ますますそこに拍車が掛りました。40歳代は会社を離れほとんど外部に出向していました。こういう経験を経て多分野の方々と楽しくやって来られたのだと思っています。  (のぐち・てつし)1983年京大工学部土木工学科卒、五洋建設入社。10年土木部門土木営業本部土木プロジェクト部長、12年執行役員名古屋支店長、14年4月土木部門土木本部副本部長兼技術研究所担当兼技術戦略室担当、同6月取締役。大阪府出身、54歳。

羽田空港D滑走路建設のための調査団に同行し、マデイラ空港でポルトガル政府のエンジニアと
(2001年2月、右から3人目)

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