2015年4月20日月曜日

【駆け出しのころ】東洋建設取締役専務執行役員土木事業本部長・森山越郎氏


 ◇身に付いた習慣は変えられない◇

 小さいころはラジオ少年で、真空管などを使ってラジオを作るのが好きでした。ゆくゆくは電子工学を学びたいと考えていましたが、目の関係で断念し、大学は土木工学科に進みました。もともとものづくりが好きでしたから、スケールの大きいものをつくれる土木を選んだのだと思います。
 入社して初めに配属されたのは、本社の調査設計部です。海洋工事で発生する水の濁りがどう拡散していくかといった解析などを行っていました。
 現場勤務となったのは入社5年目で、高架橋建設工事の現場に赴任しました。この現場では、当時はまだ設計手法が確立していなかった工法を適用するため、いろいろな基礎実験や実証実験を重ねました。それこそ昼夜寝ずの日もあって大変でしたが、発注者と共に適用に向けて努力させていただきました。
 若いころは現場でいろいろな失敗もしました。例えば場所打ちコンクリート杭の施工では、杭を決められた位置から50センチもずれて打ってしまったことがありました。
 しっかり確認したはずだったのですが、思い込みによるミスでした。総杭数213本のうち1本だけの失敗とはいえ、現場技術者としては恥ずかしい話です。
 現場にまだコンピューターがなかったころ、架設構造物の計算を行う時などは、夜になってからよく本社に行ってコンピューターを使わせてもらっていました。現場で比較検討を行うには複数の案を必要としますので、現場事務所で電卓をたたいて計算していたら間に合わなかったのです。
 34歳のころに一度、本社の調査設計部長から戻ってくるよう言われたことがありました。でも、断らせていただいたんです。現場の仕事は大変なことが多かったのですが、今振り返るとそれだけものづくりに傾注していたのかもしれません。
 近ごろは電子メールなどが普及し、フェース・トゥー・フェースでのコミュニケーションが希薄になりがちです。ですから会社ではコミュニケーションを密にするよう話しています。
 その基本があいさつをすることで、これは自分が現場で先輩から教えられたことの一つでもあります。それと長年の現場生活で染み付いたのが早起き。営業所長時代にも一番早く出社してしまうので、周りには「習慣だから気にしないでほしい」と言っていました。今もあまり早く出社しては皆に悪いのですが、これからもきっと変えられない習慣だと思っています。
 (もりやま・えつろう)1976年東工大工学部土木工学科卒、東洋建設入社。東京支店東京営業所長、同副支店長、土木本部土木企画部長、執行役員北陸支店長、常務執行役員土木事業本部副本部長兼土木企画部長、取締役専務執行役員関東支店長などを経て、15年4月から現職。東京都出身、62歳。
会社の仲間たちと花見に出掛けた時に㊧

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