2015年6月1日月曜日

【駆け出しのころ】ピーエス三菱常務執行役員土木本部長・塚原明彦氏



 ◇好きになれば強くもなれる◇

 学校の先生に「これから伸びる会社だから」と推薦していただいたのが、ピー・エス・コンクリート(現ピーエス三菱)でした。学校でメタル橋や木橋の設計については勉強していましたが、当時はまだPC(プレストレストコンクリート)のことをほとんど知りませんでした。ですから会社に入り、初めてPC構造物を見た時は感動したのを覚えています。
 一緒に入社したのは50人ほどで、高卒と大卒が半々でした。私たちの新入社員研修は、会社創業の地である七尾工場(石川県)の工事教習所で約4カ月にわたり行われました。筆記での学習だけでなく、現場実習もあって、大変充実した研修でした。合宿しながらの研修ですから、毎日がまるで修学旅行のようでして、皆で大きな風呂に入ったことなども楽しい思い出に残っています。研修期間中にはレクリエーションなどもあり、そうしたことを通じて同期の仲間意識や連帯感が高まっていったのだと思います。
 若いころに勤務していた現場で、所長からこんなことを言われました。「毎月もらう給料で専門書を1冊ずつ買っていきなさい」。現場で働いていると設計の勉強はなかなかできないものなのですが、専門書を読んでいけば独学できるという教えでした。
 その言葉の通り毎月買うようになり、全部で30冊ほどそろえたでしょうか。時間を見つけてはそれらの本を読んだものです。そうやって得た知識は、仮設構造物の設計や施工計画づくりなどに大いに役立ちました。今振り返っても、とても素晴らしい教育をしてもらったと感謝しています。
 普段の日は同じ職場、宿舎で常に上司や先輩たちと一緒ですから、仮に現場で小さなミスを起こしたとしても、内緒にしておくことなどできません。何かの拍子でつい話してしまいます。そうすると「お前の言っていることは違うから、あすもう一度チェックし直してみろ」などと言ってもらえました。こういったことが、現場での大きなミスを防ぐことにもつながっていたのだと思います。
 40代半ばになるまで現場で仕事をしました。若いころは現場で一生働き、いずれ大所長になりたいと考えていたものです。この仕事の楽しさは多くの人と知り会えることでしょう。そして造ったものが残る。これは大きな魅力です。
 若い人たちにも、いろいろな人と出会い、交流してほしいと思います。自分の仕事に誇りを持ち、楽しみを見いだすことも大切です。まずは好きになること。好きになれば強くもなれます。
 (つかはら・あきひこ)1973年群馬県立桐生工業高校土木科卒、ピー・エス・コンクリート(現ピーエス三菱)入社。東京土木支店営業統括部長、東日本支社東京土木支店長、執行役員東京土木支店長などを経て、14年6月から現職。群馬県出身、60歳。

製作ヤードで造ったPC桁を引き出している時の1枚。20代半ばだった(手前が本人)


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