2015年6月29日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・100

確かなプランニングと施工管理で取引先と信頼を築いていった
◇おやじの功罪、借金を知ったあの日から◇

 小さいころはいつもボロボロの靴を履き、学校の給食費も払えないほどの貧しい家に育った。「なぜうちは貧乏なんだろう」。細川幸一さん(仮名)はずっと不思議に思っていた。
 高校を卒業し、最初に就職した会社で大工道具の営業を担当した。数年後、エクステリアの会社に再就職したころ、父親が20社近い金融業者から借りた金を返せないでいるのを初めて知った。
 ショックだったのは、父親が多額の借金を抱えていたことだけではなく、三つ上の姉が毎月の給料のほとんどを返済に当てていたことだった。でも、膨らんだ借金は母と姉が働いても返せる額ではなかった。「長男の俺はなぜ何も知らなかったのか」。自分が無性に恥ずかしかった。
 父親は、働き者の大工職人だった。だが、一緒に飲んだ人の勘定も金を借りてまで払うなど、稼いだ以上の金を使ってしまう性分だったという。働き盛りの30代で大きな事故に見舞われ、体に障害を抱えてからは酒とギャンブルにのめり込んだ。
 「そのころの姉さんは同じ会社に結婚したい人がいた。でも、家のことを調べられたら結婚なんてできない。だから、俺が返していくので『絶対に隠しておけ』と言ったんだ」
 借金を返すにはどうすればいいか。細川さんは独立するしかないと心に決め、施工管理や設計など会社経営に必要なノウハウを得ようと必死に働いた。だが、細川さんが返済を始めても、父親は相変わらず借金を重ねていく。「今ある借金は返すので、おやじにもう金を貸さないでほしい」。悔しくて情けない思いを抑え、金融業者にそう頭を下げて回った。
 会社を辞めて独立する役員に誘われ、細川さんは2度目の転職を果たした。ところが、かつて仕事ができ、信頼のおける人だったその上司は、経営者になると考え方が大きく変わってしまったようだった。腕のいい職人たちがいなくなり、仕事の出来栄えは目に見えて変わっていった。「これほど職人によって違うものかとあらためて勉強になった」。細川さんはこの会社を離れ、同じエクステリア関連の会社で働き始めたが、以前から考えていた独立に踏み切る。当時27歳だった。
 「エクステリア業界というのは、すぐに独立できる。でも、ほとんどが会社を継続していけない。そんな中で約20年にわたり会社を続けていられるのは、本当に周りの人のおかげだよ」
 40代半ばになった今、つくづくそう思う時がある。親の借金に苦しんでいる男と知りつつ一緒になり、現在も夫が経営する会社を陰で支えている奥さんもその一人だ。
 7年前、細川さんの父親は亡くなった。あれだけ好きだった酒も晩年はだんだんと飲めない体になっていた。
 「俺もおやじと同じで根っこは遊び人なんだ。真面目にしていると息が詰まってくる。だけど、こうして家族を持って仕事していられるのは、常におやじのようになってはいけないと考えているからかもしれない。散々苦労させられたけど、おやじがいたから俺がいるんだと思う」
 父親が眠る細川家の墓石には「家族」の2文字が刻まれている。借金が無くなってから、もう10年以上がたつ。

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