2015年6月29日月曜日

【駆け出しのころ】奥村組執行役員西日本支社関西支店長・原田治氏


 ◇専門を極めれば分野が広がる◇

 入社して2年目のことです。埼玉県内にある東北新幹線の建設工事現場に勤務していたところ、急に東京本社の土木設計グループに応援に行くよう指示されました。大学で計画系の研究室に所属し、コンピューターを使っていた(当時は珍しいことだった)私なら、土木設計の業務を手伝えるだろうと会社が判断したようです。これには驚き、不安な面もありましたが、会社の期待に応えることだけを考えて挑戦することにしました。
 このグループは若い社員で構成されていたこともあり、私が学生時代に所属していた体育会系のテニス部をほうふつさせるかのように皆で切磋琢磨(せっさたくま)して業務に励みました。しばらくは応援の立場でしたが、耐震解析などを中心に勉強していたところ、上司から突然、現場に戻らずグループに残れと言われ、正式に配属されることになりました。一技術者として認められたことに喜びを感じ、にわかに自信が増して向上心が高まりました。
 1983年から東京本社の原子力室に配属されましたが、原子力施設の知識がなかったので、一からの勉強となり、大学の原子力工学科にも聴講生として1年間通いました。仕事をしながらで大変でしたが、原子力に関する専門知識を得たのは貴重でした。
 茨城県つくば市に新設した技術研究所では、大型振動台を備えた耐震実験施設の建設に企画段階から携わり、日本初の実用免震ビルを実際に揺らして建物の免震性能を確認する前例のない実験にも関わりました。このような仕事を無事完遂できたのは、持ち前の努力はもちろん、同じ目的意識を持った頼もしい仲間がいたからだと思っています。
 当時は設計部門で働くことにやりがいを感じていましたが、このまま現場経験を積まずに過ごしてよいのか不安になり、入社16年目に施工部門への異動を志願して施工管理力を磨くことにしました。3年後には営業部門に異動することになりましたが、それまでに培ってきた知識や経験は技術営業を展開する上で大いに役立ち、今も私を大きく支えてくれています。
 振り返れば、もともと与えられた仕事がきっかけで、その専門分野を極めるようになり、さらに次の分野へと関心が広がっていったと思っています。今はどのような分野にもある程度対応できると自負しており、この仕事を「一生の仕事」にして間違いないと確信しています。
 私から次代を担う若い皆さんに伝えたいことは、まずは自身の専門分野を極めることに専念していただきたいということです。そうすることによって、自然に専門とする分野も広がり、自信も増してくると思われます。労力や時間を惜しまず、ぜひ頑張ってください。
 (はらだ・おさむ)1978年京大工学部交通土木工学科卒、奥村組入社。関西支社土木部、西日本支社関西支店土木営業第2部長、同支店土木営業統括部長、東日本支社名古屋支店長などを経て14年4月から現職。大阪府出身、61歳。
入社2年目に会社でテニス同好会を創設。
プレースタイルは「攻撃一本」


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