2015年11月9日月曜日

【駆け出しのころ】伊藤組土建執行役員建築本部長・大谷正則氏


 ◇どんな壁でも打開策はある◇

 大学を卒業した当時は、オイルショックの影響で非常に就職難の時代でした。構造設計でやっていくか、とも考えていたのですが、やはり建物を造る仕事が自分には合っており、それなら故郷の北海道でという思いがありました。北海道のゼネコンでは当社が良いのではないかとの後押しもあり、入社させていただきました。

 入社試験の面接で思い出すのは、「きょうの朝刊を読んできましたか」と聞かれたことです。すぐに「はい、1面ではありませんが炭坑で起きた事故の記事でした」と答えたものの、「君、それが1面だよ」と指摘されてしまいました。確かに新聞は読んでいたのですが、なぜかこのやり取りだけは鮮明に覚えています。

 入社して最初に配属された現場は、中学校の建築工事です。新人のころはパソコンやCADもない時代で、ドラフターに向かって足場の仮設図や天井の割り付け図などを描き、コンクリートをはじめとする調達品の数量拾いやその手配のほか、工事写真の撮影もしていました。

 最初のころは現場で見るもの聞くことすべてが初めての連続で、躯体工事の職長さんからもいろいろなことをよく教えてもらったのを思い出します。そうして仕事をだんだんと覚え、先々に何をやるべきかが分かってくると、現場での仕事が楽しくなっていきました。

 忘れられない失敗もあります。先輩たちと酒を飲んだ翌朝、現場に1回だけ遅刻してしまったことがありました。現場事務所に行くと、前の晩にご一緒した主任から「どんなに皆で楽しくおいしかった酒でも、お前が遅れることによってまずくなってしまうんだぞ」と厳しくしかられました。これ以降、同じ失敗は繰り返しませんでしたが、そうした約束事がいかに重要かをあらためて身に染みて分かりました。

 出来上がった建物の見え方は、関わった人たちが違ってもほぼ同じです。しかし、施工のプロセスや特に力を入れる部分などは、関わった人によって大いに異なります。ですから、後輩たちには「これは自分の建物」という自負を持って仕事に取り組んでもらいたいと思っています。

 私たちは作業員の方々を預かり、その仕事を管理しています。こうした自覚の下で、働く人たちを現場から家庭に無事帰すことを第一に思うと、仲間意識がさらに強くなり、安全に対する注意や作業工程も理解してもらえるものです。それから若い人には、失敗することを恐れて小さくなってほしくありません。どんな壁があっても、自分ができると思ったら必ず打開策はあります。殻に閉じこもらず、自らの考えをどんどん出してほしいと思います。

 (おおたに・まさのり)1983年明治大学工学部建築学科卒、伊藤組土建入社。建築部工事課所長(新伊藤ビル建築工事)、同建築課長、同次長、同部長、執行役員建築本部副本部長兼建築部長などを経て15年4月から現職。北海道出身、57歳。

建物を造るなら「故郷の北海道で」という思いで入社した


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