2016年5月16日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・137

甚大な被害を受けた熊本城の修復は復興のシンボルにもなる
◇仲間と心の底から笑いたい◇

 お城は熊本県人にとって心のよりどころ。子どものころから眺める茶臼山の丘陵地に立つ天守の姿は目に焼き付き、そこにあることが当たり前の存在だ-。

 豊臣秀吉に仕えて天下統一を支えた加藤清正が約400年前に建てた熊本城は、「武者返し」として有名な石垣など堅固な造りで知られる。

 熊本市内を中心に土工事などを請け負う建設会社で働く芝原克人さん(仮名)も、自慢の観光名所である熊本城には幼いころから家族や友人とよく訪れた。その思い出がたくさん詰まった熊本城が、阪神大震災級の強い地震によって被災。国の重要文化財に指定されている多くの建物が倒壊や壁の亀裂などの被害を受けた。天守閣の屋根瓦はほとんど落下。周辺を支える石垣も崩れ落ち、脳裏に浮かぶかつての堅固な城の姿は見る影もない。

 避難先のテレビで被災した熊本城が映し出された時にはどよめきが起こり、泣き出す人も。阿蘇大橋が崩落した南阿蘇村の大規模な斜面崩壊や激震地で倒壊した家屋の映像以上に、ぼろぼろに傷ついたお城を見た時のショックは大きかった。

 芝原さんの自宅も地震の被害を受けたが、倒壊などの致命的な損傷は免れた。それでも室内には家財が散乱し、テレビや冷蔵庫などの家電製品も壊れた。

 「自分たちはまだましな方。同僚の中には自宅が倒壊し、避難所暮らしを続けている人もいる。これからどうなるのか分からず、みんなが不安を抱え、なんとか冷静さを保とうとしているのが実情だ」

 熊本市内で生まれ育って40年近くたつが、これほどの地震はもちろん初めて。学校で行われていた防災訓練は火災を想定しており、これほど大きな地震が来るとは思いもしなかった。

 激震地に比べれば、市内の中心部は熊本城を除いて道路や建物などの大きな被害は一見目立たないが、細かな損傷は数え切れない。不意に起きた惨状を目の前に、気持ちの整理もままならない。そんな状況下でも、建設業に携わる技能者の一人として、震災直後から被災した道路などの応急復旧に当たっている。

 大なり小なり、みんなが被災者でありながら、声を掛ければ自宅の片付けなどは後回しにし、地域の安心・安全や市民の暮らしを守るため、現場に駆け付ける。休む間もなく被災現場の応急復旧に立ち続けている同僚たちとの毎日は、苦しくないと言えばうそになるが、誇らしくも思う。

 普段なら狭い町中での工事は迷惑がられる。事前に地元へ説明せずに工事を始めれば、住民からクレームが殺到する。それが今は、「こんなに早く対応してくれて助かります」と声をよく掛けられる。みんなが大変な時だからこそ、互いに助け合うことの大切さをより実感できるのだと思う。

 不自由な暮らしで被災者の疲労やストレスはたまる一方。少しでも日常生活に負荷がかからないよう、道路などのインフラやライフラインの復旧を早急に進めることが求められている。

 日ごろ地域の安心・安全を支え、縁の下の力持ちである建設業。そうした思いが強いからこそ、災害時には被災地に出ようと血が騒ぐ。

 復旧・復興の道のりははるか遠い。仲間たちともう一度、元通りになった熊本城を見ながら心の底から笑いたい。そんな日を夢見て、きょうも現場に立つ。

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