2016年8月25日木曜日

【輝く!けんせつ小町】興栄コンサルタント・前川利枝さん

◇人のつながりを大切に◇

 大学進学時に土木建設工学科を選んだのには三つの理由があった。一つ目は実力で合格できそうな学科であること、二つ目は人付き合いが苦手で研究職に就きたいと思ったこと、三つ目は大きなものを作ってみたいと思ったこと。「前向きと後ろ向きの理由がありますが、結果的に今の自分には土木という選択肢しかないと思っています」。

 卒業後、富山県庁に入庁。道路の改良・維持を担当した。4年後、結婚を機に県庁を退職。夫の実家のある岐阜県内に転居した。「地元の測量設計事務所に勤めたのですが、1年半で辞めました。2人の子どもを出産したこともあり、数年間はパート勤めでした」。

 子育てをしながら感じていたのが“未消化感”。「どの仕事も中途半端で終わってしまい、このままではどの時点を振り返っても後悔する。自分はやはり技術屋になりたい」。

 漠然と目指していた技術士の資格取得へ向け、本腰を入れて勉強を始めたのは、こうした思いが強くなったからだ。「下の子はまだ夜泣きがあり、勉強しては子どもをあやし、机に向かう生活でした。家族の協力もあり無事に技術士の資格が取れました」。

 下の子どもが保育園に入園するのと同時に現在の会社に入社。子どもの迎えがあったため、事務職で時短勤務での採用だった。「仕事に就けただけでうれしかった。1年後に技術職に異動し、家族とも相談して通常勤務になりました。時短勤務では業務の主担当者になれないためです」。

 現在、道路グループに所属し道路維持・改良に関する調査設計業務などに従事する。最近では治山事業も担当し、崩壊した山腹現場に入って対策工のための調査設計も行う。「治山関係の仕事はあまり経験がないため、いろいろな人に各種の知識を教えてもらっています。どんな仕事も同じですが人とのつながりが大切です。人とのつながりで今の仕事が続けられています」。人付き合いが苦手だった学生時代とは変わった。

 子どもたちは中学生1年生と小学5年生に成長した。「将来の夢は技術者としての充実が、仕事にも生活にもよい刺激になること。だから今は目の前の仕事を一生懸命やるだけです」。

 (東濃営業所技術第一部、まえかわ・りえ)

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