2016年12月12日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・154

周囲の厳しい指導が職人としての成長を支えてくれる
 ◇苦労が教えてくれた大切なこと◇

 「辞めようと思ったことは数え切れないほどある。でも良い先輩や仲間に恵まれて、ここまでやってこられた」--。

 幼い頃から家にはさまざまな種類の「こて」があった。父が左官職人だったからだ。それでも大きくなるまでは左官がどんな仕事なのかは知らなかった。黒崎雅治さん(仮名)が初めて左官という職業を知ることになったのは中学校を卒業した直後。「勉強が好きじゃなかったし、中途半端に進学するくらいなら、手に職でも付けよう」と卒業してすぐ父に弟子入りした。

 最初のうちは壁を塗るどころか、材料を練ることもできず、怒られてばかりの日々。「おやじは病気をしていたし、自分の息子だから早く一人前にしたいと思っていたのかな。世間体を気にするところもあったし」。毎日辞めたいと思うほどの厳しい指導が4、5年続いた後、父が他界した。

 まだまだとても一人前とは言えない中で道しるべを失い、途方に暮れた。そんな時に支えてくれたのが職人の先輩たち。同情して甘やかすのではなく、父親同様、厳しく指導してくれた。「当時はいじめかと思っていたが、あの時の厳しさがあったからこそ、今の自分がある。今になってやっとわかったことだけど」。

 「自分の腕一本で食べている職人は、自分の技術を磨くことが重要」。でもそれが一番だとは思っていない。「左官の仕事は一人でやる作業がほとんど。それはどんな職種の職人も同じだろう。だから職人は『自分が自分が』となりがち。でも、現場はいろんな種類の職人が集まって一つのものを造っている。自分一人で建物を造ることはできない」。

 苦しい時に指導してくれた先輩たちの存在が、現場で働く職人として大切なことを気付かせてくれた。感謝できる周囲の人々の存在が、職人として自分を成長させてくれたと、今では実感として分かる。

 左官の道に進んで35年以上がたつ。年齢も50を超え、工事長としてグループを率いる立場にもなったが、会社ではいまだ若手の部類に入る。来春入社予定の新入社員の教育係も任されるという。

 他の多くの職種と同じように、左官も職人の高齢化が進み、担い手不足が深刻だ。若者の入職は少なく、入っても長続きしない。「せっかく一緒に仕事をするんだから、後に残るものを一つでもつかませてやりたい」と、自分が先輩たちから受け継いできたものをしっかりと伝えたい気持ちはある。一方で「今の若者は気持ちをぶつけるだけでは駄目。しっかり話し合って考えを聞くことが大切」とも考える。若いころから苦労を重ねてきたからこそ分かることだ。

 2回り以上も年下の若者とコミュニケーションを取るのは容易なことではない。「人を育てるのは難しいけれど、それも自分を成長させる糧になる。50を過ぎても毎日が勉強。それが一番のやりがい」。きょうも現場の最前線に立つ。

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