2017年1月13日金曜日

【漫画界の伝説的建物を再び】トキワ荘復元計画(東京都豊島区)、東京五輪前の完成めざす

 ◇まちづくりと連動、新たな観光名所に◇

 「鉄腕アトム」の手塚治虫さんや、「ドラえもん」の藤子・F・不二雄さんら、国民的ヒット作を生み出した有名漫画家たちが青春時代を共に過ごした東京都豊島区のアパート「トキワ荘」。解体されて久しいこの木造2階建てのアパートを漫画のミュージアムとして復元する計画を豊島区が進めている。2020年東京五輪に間に合うよう完成させる計画で、新たな観光施設になるとの期待も大きい。

 トキワ荘は、もともと手塚さんが住んでいた小さなアパートに、手塚さんを慕う当時の若手漫画家たちが集い、共同生活を営んでいたことで有名になったといわれる。藤子さん以外にも、「仮面ライダー」の石ノ森章太郎さん、「天才バカボン」の赤塚不二夫さんなど後に数多くの作品で有名になる漫画家が多く入居していた。

 住人以外にも「恐怖新聞」などで知られるつのだじろうさんら、多くの若手漫画家が毎日のように訪れ、一種の社交場のようになっていたという。

 ◇外観再現、内部に漫画ミュージアム ◇

 復元事業では、豊島区の南長崎花咲公園(南長崎3の9の22)内に、トキワ荘の外観を可能な限り再現した建物(2階建て延べ420平方メートル)を建設。漫画・アニメのミュージアムとして整備する計画だ。1階部分を企画展などを行うミュージアムにし、2階部分には漫画家の部屋を再現する。17年度に建物の基本・実施設計と展示物設計に着手。18年度着工、19年12月の完成を目指している。

 1958年にトキワ荘に入居し、7カ月間暮らしたことがある漫画家の水野英子さんは、今回の復元プロジェクトについて「トキワ荘は戦後漫画の発端と言ってもいい場所。できる限り正確なものを再現してほしい」と話す。トキワ荘は伝説的な建物だけに、これまでにも何度か模型の制作や部屋の再現などが行われてきたが、中には時代考証が粗いものも少なくなかったとされる。

 「トキワ荘は、生活と仕事が一体となった空間だった。どんな暮らしをしていたかが、正確に伝わらなければ見えないものがある」と水野さん。手塚さんをはじめ、トキワ荘で共に暮らした漫画家の多くは既に鬼籍に入っている。「関係者も少なくなりつつある。歴史として残すことができるのは今のうち。漫画の記念碑として残していってもらいたい」。

 豊島区では、漫画やアニメなど区内に豊富なサブカルチャーに由来する観光資源を生かしたまちづくりが進んでいる。区は、漫画やアニメ関連の店舗が多く、若者が集まる池袋と南長崎に復元するトキワ荘とをリンクさせ、観光客を集める起爆剤として利用。地域の振興につなげていきたい考えだ。

 トキワ荘を復元する南長崎では、アパートの跡地付近を「トキワ荘通り」として記念碑を設置したり、観光施設「トキワ荘通りお休み処」などを設けたりするなどのまちづくりが進んでいる。

 □漫画家・水野英子さんが語るトキワ荘の思い出□

 ◇毎日が凄まじい勉強、実力磨く機会に◇

 トキワ荘になぜ若手漫画家たちが多く集まったのか。水野さんは「当時は今とは違って漫画の話の分かる人がほとんどおらず、描いている人がいると、会いたくてしょうがなくなる時代だった」と振り返る。水野さんはデビュー後の58年に石ノ森さんや赤塚さんとの合作漫画を描くためにトキワ荘に入居した。「すさまじい勉強だった。石ノ森さんの才気走った仕事や赤塚さんの緻密な絵を日々見ていると、自分の絵も上達していった」。特に、深夜まで仕事をした後、必ず本を1冊読んでから寝る石ノ森さんの旺盛な知識欲に驚かされたという。

 月に1回は当時の若手の漫画家たちで結成した「新漫画党」というグループの会合が開かれるなど、アパートの暮らしはにぎやかだった。「四畳半にぎゅうぎゅうに集まって、赤塚さんの作った肉無しの野菜炒めなどをつまみにわいわいと話をしたり、漫画の会誌を作ったりしていた」。

トキワ荘の暮らしは、若手の漫画家たちにとっては、自分の実力を伸ばすことのできる機会でもあった。当時からトキワ荘に漫画家が多く住んでいることは有名で、編集者がアパートを訪れ、まだ発展途上で描く人が少なかった少女漫画の仕事などを依頼することも多かったという。「あの頃は漫画家だけでなく、編集者もいろいろなことを試していた。漫画家の個性を大事にし、描きたいことを描かせてくれるいい時代だった」と懐かしむ。

 (みずの・ひでこ)39年山口県下関市生まれ。55年にデビュー。代表作に「ファイヤー!」「白いトロイカ」「星のたてごと」など。
トキワ荘での日々を描いた水野さんの作品『トキワ荘日記』

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