2017年8月9日水曜日

【駆け出しのころ】加賀田組取締役専務執行役員新潟支店長・西村強氏

 ◇時代に合うやり方を考える◇

 20歳ぐらいの頃までは体が細く、小学校や中学校の先生からは「この子は体を使う仕事は無理だ」と言われてきました。両親も将来は事務系の仕事に就いてほしいと思っていたようです。でも橋などの構造物を自分で造ってみたいと考えるようになり、技術系の学校に進学しました。

 入社して初めて配属された現場は上越新幹線の橋梁工事です。実は入社する1年前、ここに隣接する他社施工の工事現場でアルバイトをしていたため、加賀田組の事務所があるのを知っていました。偶然とはいえ、会社に入って初めての担当がこの現場になるとは不思議な縁を感じました。

 若い頃は、現場で分からないことは職人さんに何でも聞くようにしていました。入社2年目に浄水場の工事を担当した時はこんなこともありました。大工の棟梁に「墨を出してくれ」と言われたのですが、私は機械設備と一緒になった図面がまったく分かりませんでした。恥を忍んで「これはどういう形になるのですか」と聞くと、棟梁は「お前はバカか」と言いながらも、その場で立体的に分かるよう紙で模型を作ってくれたのです。涙が出るほどうれしく、今でも忘れることはありません。

 30代半ばの頃、河川に架かる橋梁の工事を担当した時のことです。工期は十分にあると考えていたのですが、受注した後で、川をサケが遡上(そじょう)する数カ月間は工事ができないと知り、これには焦りました。急いでいろいろと検討した結果、「これなら間に合う」という施工方法を提案し、まさに昼夜の超突貫工事で工期内に間に合わせたことがあります。私も当時はまだ若く、「できないことはない」といった勢いで仕事に取り組んでいたのだと思います。

 私たちが現場を担当していた頃は、職員が自ら仮設材の設計なども行っていました。今は人手不足の時代となり、測量なども外注するのはいいのですが、その成果をチェックできることが前提になくてはいけません。例えば過剰なところがあれば修正し、コストを下げることで、協力会社の利益向上にもつなげられます。

 それに、自分で計算して図面に描いたことは、何か変更が生じた際にもしっかりと説明できます。社内では今、作業環境や働き方の改善を進めながら、そうした技術的な面については以前のやり方を参考に他の方法はないかと話しています。難しいことではありますが、私たちの会社が差別化を図っていくためには実現していかなくてはいけない課題です。

 造ったものが残る。この感動を得られるのが建設業であり、技術者の冥利はそれに尽きます。若い人たちもこの喜びをぜひ味わっていってほしいと思います。

 (にしむら・つよし)1974年新潟県立加茂農林高校農業土木科卒、加賀田組入社。上・中越地区担当工事長、新潟地区担当工事長、取締役執行役員建設本部副本部長、取締役常務執行役員新潟支店長などを経て、2011年現職。新潟県出身、62歳。

最後に所長を務めた現場での打ち合わせ(奥側中央が本人)

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