2017年10月2日月曜日

【駆け出しのころ】東洋建設常務執行役員関東建築支店長・浜崎恭年氏

 ◇チームで働く大切さ伝える◇

 建築の道に進んだのは、建築技術者であった父親の影響だと思っています。私が6歳の時に亡くなったため、どんな働き方をしていたか、記憶はありませんが、家にはカラス口のペンや雲形定規、計算尺などが残されていました。子どもの頃からそうした製図セットを見ているうちに「どんな使い方をするのだろう」と興味を持ち、建築に憧れのような思いを抱いて育ちました。

 入社した当時の東洋建設は建築職の新人採用を始めて間もない頃であり、私はその4期生です。1年半ほど本社で見積もりなどの研修後、横浜元町で有名なレストランの建築工事現場に配属となりました。現場のことはほとんど何も知らない新人ですから、とにかく職人さんと一緒に行動しながら仕事を覚える日々が続きました。多くの人たちでにぎわう華やかな街中での現場でしたので、作業着をいつも泥だらけにしていた私は「現場にもう行きたくない」と思う時期もありました。

 それから3、4年後に担当したマンションの建築工事で、建築技術者として大きな影響を受ける所長と出会います。この所長はこだわりを持って自ら現場で品質管理に当たる方で、私が徹夜で描いた施工図を「使いものにならない」と目の前で破くという厳しい一面もありましたが、いろいろなことを学ばせていただきました。「この業界で頑張っていこう」。そう思えた現場でした。

 自分が所長の立場になってからは、現場スタッフにはチームで働くことの大切さを伝えてきたつもりです。協力会社の人たちに気持ちよく働いてもらうにはどうしたらいいか。そこにこだわって現場を運営しました。大事なことの一つは、いかに手戻りのないように段取りするかで、昔はそれができていないと現場から帰ってしまう職人さんも結構いたものです。

 現在は目まぐるしく要求事項が変わっていく時代であり、現場の管理事項も増えています。でも、現場の狭い世界だけに目を向けていると、業界がどういった環境にあり、どのような社会的要求があるのかが見えなくなってしまう懸念もあります。アンテナをしっかり立てて変化に対応し、変えるべきものは変えていく必要があります。

 それに最近は、ものづくりそのものというよりはプロセスに重きが置かれ過ぎ、作品意識を持ってものづくりの喜びを味わえる機会が少なくなっているのではないかと危惧しています。決められたことをしっかりやることだけに追われ、余裕がなくなっているのかもしれません。難しい時代ですが、若い人たちにはものづくりの原点である楽しみや喜びを知ってほしいと思います。

 (はまさき・やすとし)1980年芝浦工大工学部建築工学科卒、東洋建設入社。関東支店建築工事部長、建築事業本部建築部長、関東支店建築事業統括、同副支店長、執行役員関東建築支店長などを経て、17年4月から現職。島根県出身、60歳。

入社して最初に携わった建築工事(横浜元町)の竣工式で

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