2017年12月4日月曜日

【駆け出しのころ】ライト工業執行役員・佐藤弘氏

 ◇納得がいくまでやり通す◇

 私は新潟県の出身です。大学を卒業したら地元の建設会社に就職しようと考えていましたが、指導教授からゼミでの薬液注入に関する研究が生かせる会社としてライト工業を紹介していただき、入社しました。

 当時は、日本が好景気に沸き始める少し前といった頃だったでしょうか。当社もちょうど新卒採用者を増やし始めた年で、私たちの代は技術職で約30人が採用されました。

 新入社員研修を終えて最初に配属されたのは、薬液注入などを手掛ける東京支社第一事業部工事部です。シールド立坑や都市型のNATM工事での地盤改良などを担当しました。この頃に先輩から教えられたのは、一つの作業を終えたら機械をどこに移動させるのかなど、事前に自分でストーリーを組み立てておくことの大切さです。

 そうすれば作業員の方々もスムーズに仕事ができ、タイムロスも防げます。入社2年目に早くも小さな現場の施工管理を一人で担当した時などは、そうした教えを胸に頑張りました。私たちの世代は皆、一つの現場を早く任せてもらいたいという意識が強かったのではないかと思います。

 4年目に担当した現場でのことです。直径2メートルほどのシールドトンネルを地中で接合する工事があり、その地盤改良を担当しました。坑内から地盤に改良剤を注入していったのですが、計画量に達してもなかなか所定の改良効果を得られません。安全性を確保するために追加注入も行い、元請の方からはOKが出されました。でも、どうしても自分で納得がいかないのです。もし改良が不十分で後工程に影響が及んだら大変なことになります。

 この時、会社で相談した上司が言ってくれたのは「納得できるまでやってこい!」。これは大変心強く感じました。結局、1週間ほど注入を続けさせてもらいました。自らの責任で判断したことと上司の後押しが、その後の技術者としての原点になっていると思っています。

 小さな地盤改良工事の現場などでは事務所もなく、若い頃には仕事を終えるとそのまま自宅に帰り、必要な書類の作成などもやっていました。一人で頑張っていたわけではなく、電卓を片手に女房もよく手伝ってくれたものです。

 若い人たちには、困難なことに直面したら自分だけで抱えず、会社の先輩や上司に相談するように言っています。そうするといろいろなアドバイスが出され、その中から自分の考えに基づいて一番いいものを選べばよいのです。どんな場面に遭遇しても取って食われるわけではありません。一人で悩まず、私も含めたいろいろな人たちをいい意味で利用してほしいと思います。

 (関東支社副支社長兼第一事業部長、さとう・ひろむ)1988年東洋大学工学部土木工学科卒、ライト工業入社。東京支店工事部工事第2グループ統括工事長、関東支社第一事業部施工技術部統括部長兼施工技術第1グループ部長、同副支社長兼第一事業部施工技術部統括部長などを経て、17年4月から現職。新潟県出身、52歳。

20代の頃、自宅での一コマ

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