2018年7月30日月曜日

【駆け出しのころ】松尾建設取締役建築営業本部長・中嶋孝次氏

 ◇家族に自慢できる仕事◇

 子どものころからものづくりに興味があり、大学は建築学科に進みました。熊本に生まれ育ち、大学も地元であったため、卒業して社会人になっても九州で働きたいと考えていました。そうして九州でナンバーワンの建設会社はどこかと調べ、佐賀県に本社のある松尾建設に入社しました。

 最初に配属されたのは佐賀市内の建築工事現場です。5人ほどの社員が常駐していました。大学で学んだことが、実際の現場でそのまますぐに役立つものではなく、そのギャップに戸惑う時期もありました。でも、基礎を勉強していなければ応用もできず、しばらくたってからやはり基礎の大切さを実感したものです。

 私はとにかく現場に出ているのが好きでした。夏場になると真っ黒に日焼けし、顔にはヘルメットのひもの跡が白くはっきりと付いていました。新人時代はいつも図面を小脇に抱え、職人さんに何を聞かれてもすぐに答えるよう心掛けていました。しかし当時はまだ知識も自信もありません。ですから即答した後で事務所に行き、先輩に自分の指示が正しかったかどうかを確認するようにしていました。指示が間違っていたこともあり、そんな時は現場に走って戻りました。

 最初の現場で仮設足場を解体し、建物の全景が現れたときの感動は忘れられません。自分一人で造ったわけでもないのに、うれしくていろんな方向から建物をずっと眺めていたのを思い出します。

 入社2年目に現場で転落事故が起き、職人さんが重傷を負いました。私と同じ年代であったこともあり、現場でよく一緒に話をしていた職人さんでした。この日のことは強烈な実体験として頭に残り、その後の安全に対する考え方や取り組みのベースとなりました。

 結婚して子どもが生まれてからは、施工に携わった建物が完成すると、それを家族に見せるのが何よりの楽しみでした。まだ工事関係者しか入れない建物の中を案内したこともあります。引き渡し前の体育館で子どもたちとバスケットをしたのも楽しい思い出です。手掛けた仕事が目に見える形で残る-。これが建設業の良さであり、家族に自慢できる仕事だと思っています。

 現場でのものづくりであったり、営業で工事を受注したりすることであっても、仕事は好きにならないと続きません。

 会社に入ってきた若い人たちには、まず5年は頑張り、もし自分に合わないのであればそれからいろいろ考えても遅くはないと言っています。5年は長いと言う人がいるしれませんが、そのくらいの期間を経なければ判断できないでしょう。

 皆のやる気をどう起こさせるか。会社では東京支店長を務めたころも含め、このことを常に考えています。

 (なかしま・こうじ)1981年熊本大学工学部建築学科卒、松尾建設入社。執行役員東京支店長、同工事原価本部長、取締役工事原価本部長などを経て、2017年4月から現職。熊本県出身、60歳。
1990年代初めに家族で出掛けた旅行先で

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