2018年8月20日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・207

自分の仕事の先には建物の完成を待ち望む人々の姿があった
 ◇自分の仕事で被災者にエールを◇

 東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第1原子力発電所の事故により、多数の避難者が出た福島県浜通り地方。震災発生から7年が過ぎ、周辺住民の帰還も進む中、かつて多くの住民が集った施設が復興のシンボルとして再建された。完成式典には多数の地域住民が訪れた。完成した施設を前に「復興もようやくここまで来た」と涙をにじませて喜ぶ姿も見られた。

 その工事には浜通りを故郷とする職人も多数携わった。とび職の佐藤政明(仮名)さんもその1人だ。

 震災後、復旧・復興の現場に長く携わってきた佐藤さんにとって、その施設の再建には感慨深いものがあった。幼いころ両親に連れられ、遊んだ記憶が鮮明に思い出される。震災前の日常の象徴でもあった施設の完成について、「自分の仕事が、ようやく報われつつあるのかな」とうれしそうに話す。

 幼いころからものづくりが好きだったという佐藤さんは地元の建設会社に入職し、長年にわたって現場一筋で働いてきた。しかし、原発事故の影響で自宅周辺が警戒区域に指定され、避難生活を余儀なくされた。最初は関東地方で暮らす親戚を頼って移ったものの、復興に携わりたいという思いは強く、1年で地元近くの仮設住宅に戻り、除染などの復旧工事に携わった。

 「若者が戻ってこないと街の復活はない。自分がその先駆けになりたいという思いでやってきた」と佐藤さんはここまでの道のりを振り返る。

 最初に復旧工事の現場に立った時は、街の変わり果てた姿に驚かされた。沿岸部の建物は津波で流され、がれきの山となっていた。内陸部は家やスーパーが震災当時のまま放置され、ゴーストタウンのようになっていた。「これではもう街が元に戻ることはないのでは」と考えることもあった。

 そんな佐藤さんを支えたのは、3人の子どもたちの存在だ。震災後に何度も転校させてきたことがずっと気掛かりだった。ふとした時に「元の街で暮らしたい」と話す子どもを見て、「一日も早く街を元通りにして、昔の暮らしを取り戻さなければ」と自分を奮い立たせて仕事に当たってきた。昨年4月にようやく地元周辺の小中学校が再開したことを契機に、家族と共に自宅に戻った。

 自宅周辺も復興の兆しが見えつつある。建設途中のショッピングセンターや真新しいコンビニエンスストアが目立ち、人を迎える体制が整ってきた。佐藤さんはそんな状況を県外に避難している友人たちによく話している。それを聞くと、「俺も戻ろうかな」と帰還を考える者もいるという。

 そんな中で佐藤さんは、施設の完成を前に改めて自分の仕事のやりがいを感じるようになった。忙しく現場作業に取り組みながら、完成後の施設に集まって遊ぶ姿を思い描く。以前であれば、「目の前の作業だけを考えていた」というが、今の佐藤さんは、自分の携わった施設が周りの人の励ましになることに大きな喜びを感じている。

 今も復興は道半ば。これからも震災前の日常を取り戻すため、現場に立ち続ける覚悟だ。

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