2018年10月29日月曜日

【駆け出しのころ】関電工常務執行役員営業統轄本部施工品質ユニット長兼技術企画部長・高橋信治氏

 ◇仕事に興味持ち壁を越える◇

 入社して最初に配属されたのは東京都内の現場で、当時、新入社員には一人一人に教育リーダー(先輩)が付きいろいろ指導していただきました。図面を手際よく描き、朝礼で作業員へ指示を出す先輩の仕事ぶりが格好良く、自分も早くそうなりたいと憧れていました。

 その思いが強すぎたのかもしれません。現場が9月に竣工したのを機に、私は無謀にも支社長に、「一人で現場を担当させてほしい」とお願いしました。当然に受け入れられなかったのですが、次の現場に配属され、先に担当していた先輩が家の事情で現場に来られない日が続き、実質的に一人で現場を運営することになりました。自分から希望していたとはいえ、毎日が分からないことばかり。また超突貫工事で苦労も多く、いつしか会社を辞めたいと思うようになっていました。そうして年末の仕事納めの日、私にはこの仕事は続かないと思い支社長に「辞職したい」と申し入れました。

 支社長から「辞表は?」と聞かれたので、すぐに書いて持っていくと、今度は「次は大手町の現場に行ってもらうから、1月15日まで休んでいていい。それに辞表の字が違うよ」と指摘されました。これを聞いて私は辞めたいという気持ちよりも休めるうれしさの方が大きくなり、2週間ほどスキー旅行に出掛けました。

 休暇を終えて出社した時にはすっかり気持ちも変わり、「辞めるのをやめます」とお伝えすると、支社長は何事もなかったかのように「次は大手町と言ったろ…」と言って私の背中を押してくれました。今も辞表の字のどこが間違っていたかは分からず、私を落ち着かせるために、わざとつかれた、うそだったのかもしれません。

 大手町の現場に移って以降は、大型改修工事を担当することが多く、中には20年以上にわたり携わったビルもあります。金融機関の電算センターの改修工事を行う場合、計画や作業にミスがあってシステムに支障を来すと、膨大な額の損害を発生させてしまいます。何よりも金融機関を利用されるお客さまに、ご迷惑を掛けてしまうことは絶対に避けなければなりません。そのため緊張感を持って、綿密に計画づくりに当たらなければならず、幾度となく「もうダメだ」と思ったものです。でも、自分しかできないと、気持ちを奮い立たせながら乗り越えてきました。

 こうして振り返っても、私たちの仕事は決して楽なものではありません。これまで続けてこられたのは、多くの先輩や仲間が仕事に興味を持たせてくれたからだと思います。常に興味を持って勉強していかないと、技術の進歩には対応できません。関電工にはどんな問いにも答えてくれる、優れたエンジニアがたくさんいます。若い人たちは何かの壁に突き当たっても、そうした先輩たちにいろいろ聞きながら乗り越えていってほしいと思います。

 (たかはし・しんじ)1985年東洋大工学部電気工学科卒、関電工入社。営業統轄本部内線工事部中央支社施工チームリーダー、中央支店中央支社長、執行役員営業統轄本部副本部長(施工力強化担当)兼品質工事管理部長などを経て、18年10月から現職。56歳。

1990年代半ばに担当したビル中央監視システムの更新現場で(中央奥が本人)

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