2019年1月21日月曜日

【駆け出しのころ】三菱地所設計専務執行役員・国府田道夫氏


 ◇考えた時間の総量が結果に◇

 大学内の掲示板で知った三菱地所のことを調べると、大規模建築の設計も数多く手掛けている会社だと分かり、ここでお世話になろうと入社試験を受けました。

 入社した当時は会社が東京・丸の内の(旧)丸ビル内にありました。時代を感じさせる独特の雰囲気が漂う建物であり、設計部の広い部屋に入ると、大勢の先輩方が製図板の上でT定規を使いながら黙々と設計図を描いていました。

 新人として最初の仕事は電話番で、一日に何度も電話を受けるたびに「○○さん、お電話です」と大きな声で呼んでいました。初めのころは私のことなど忙しくて構ってくれなかった先輩方でしたが、徐々に話していただけるようになり、毎週土曜日にビル内の喫茶店でいろいろな話を聞けるのも楽しいひとときでした。

 1年目の終わりころに小さなビルの設計を任せていただきました。これとほぼ同時期に若手の設計者らが集まり、大規模プロジェクトのコンペにも挑戦しました。一日の仕事を終えた夜にコンペ関係の準備を進めるため、会社に泊まる日が多くなり、1週間も続けて家に帰れなかったこともありました。コンペに挑むのは楽しくもあったのですが、自分が意見を言っても採用されず、いつも先輩の手伝いばかり。正直に言って疲労感ばかりが募る日々でした。私がこれまでどうもコンペを好きになれずに来たのは、そんな新人時代の苦い経験があったからかもしれません。

 4年目に神奈川県内の銀行本店ビルの設計を担当することになり、本社から離れた場所にあるビルの地下に設けられた分室で作業を進めました。この時の上司2人には、私の得意な面をよく認めて頂きいろいろなことをやらせていただきました。チームワークも良く、独立した一つの設計事務所で働いているような毎日でした。それまでの業務の進め方に迷いと疑問を感じていた時期でもあったため、このプロジェクトに携われたことが大きな転機となりました。

 どんな時も設計のことが頭から離れず、浮かんだアイデアをすぐに表現しようと、電車の中で無意識のまま空間に指でスケッチを始めてしまうことが多く、周囲の人から笑われたのもいい思い出になっています。建築設計は時間をかければいいという仕事ではありません。でも、自分の経験から言えるのは、考えている時間の総量が結果に表れるということです。

 私は周りの人たちに助けられながらこれまでやってくることができました。若い人たちも人との出会いを大切にしてください。そして一通りのことができるようになったら、自分の得意な面を発揮できる設計者になってほしいと思います。

入社3年目、設計部のオフィスでの一枚
(こうだ・みちお)1985年東工大大学院修了、三菱地所入社。93年米ペンシルベニア大大学院修了、三菱地所設計執行役員建築設計第四部長、常務執行役員などを経て、2017年4月から現職。川崎市出身、58歳。

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