2019年4月22日月曜日

【駆け出しのころ】駒井ハルテック執行役員製造本部副本部長兼富津工場長・坂本孝司氏

 ◇いつもコミュニケーションを◇

 大学で鉄骨の研究室に在籍し、当時の駒井鉄工(現駒井ハルテック)の関連会社に就職しました。別のもう1社との共同出資で発足した鉄工会社(ファブリケーター)で、社員の大半は両社からの出向者やOBです。新入社員は私1人だけで、20代の若手社員もいませんでした。

 最初の配属先は技術課。先輩や上司が使う日常的な用語が分からず、まずは用語を覚えることに必死でした。検査課や製造課と部署を異動するのですが、どの部署でも日々勉強でした。先輩からは「こんなことも知らないのか」とよくしかられたのを覚えています。

 この会社には約7年間勤めました。小さな会社でしたので、鉄骨の検査やお客さまの立ち会い、製造管理など、ファブでの仕事を一通り担当させてもらいました。同時に溶接管理技術者や非破壊検査技術者など必要な資格も取得しました。振り返ると、ここでの経験が大いに役立っています。

 当社に入社したのは、当時あった東京工場(千葉県松戸市)を見学させてもらったのが縁でした。製作している鉄骨は自分が担当してきた規模とは桁違いで、「うちに来ないか」と声を掛けてもらった時は、こうした大規模な鉄骨を担当してみたいと思いました。

 入社後、すぐに工場に配属され、製造を担当していたのですが、4年目に工務課に異動。顧客との折衝の仕事に就きました。ある時、上司にこれを担当してくれと、図面を渡されました。それは東京湾アクアラインの換気塔「風の塔」の施工でした。風の塔は川崎人工島に大小二つの換気塔を建設するものです。そのうち当社は小塔の製作を担当。現場施工が困難で、工期も短縮できるため、鉄骨ブロックを上下に分けて陸上で地組みし、海上輸送し、現地に据え付けることにしました。

 小塔の鉄骨は上部900トン、下部1600トン。これを海上輸送するには国内最大級の起重機船を使用するしかありません。このため、まず起重機船の日程が先に決まり、それに合わせて鉄骨製作、地組みという日程が組まれました。東京工場で製作し、当社の富津工場(千葉県)に製品を搬入して地組みを行ったのですが、厳しい工期で、連日徹夜作業が続きました。

 その時に感じたのは、みんなの力が一つの方向に向かえば「たいがいのことはできる」という気持ちでした。風の塔が完成した時に味わった達成感はいまも忘れられません。この仕事に携わった社員、関係者はみんなそんな気持ちを持っていると思います。

 われわれの仕事はチームで一つのモノを作り上げていきます。自分一人でできることは限られています。チームでの仕事で大切なのはコミュニケーションです。お互い声を掛け合い、助け合う。そんな気持ちがなくては良い仕事はできません。若い技術者には人と人とのつながりを大切にし、何でも挑戦する気持ちで日々の仕事に励んでもらいたいと思います。

30歳のころ、旅行先で撮った同僚との一枚(左端が本人)。
仕事だけでなく休日も同僚と過ごしていた
(さかもと・たかし)1985年日本工業大工学部建築科卒。92年駒井鉄工(現駒井ハルテック)入社、2014年製造本部富津工場副工場長、17年4月理事・製造本部副本部長兼富津工場長を経て同6月に現職。神奈川県出身、56歳。

0 コメント :

コメントを投稿