2019年8月19日月曜日

【駆け出しのころ】大日本土木代表取締役専務執行役員経営企画本部長・佐溝時彦氏

 ◇チームの力で困難乗り越える◇

 父親が建設関係の仕事に携わっていた影響もあり、大きなものを造りたいという思いから土木の道を選びました。長男で地元志向が強いこともあり、自宅から通えればという考えから、岐阜に拠点を置く大日本土木に入社しました。

 当時の思いはそうでしたが、これまで岐阜での勤務はありません。最初に大阪支店に配属された土木系の新入社員5人のうち、他の4人は大阪や京都などの街中の現場でしたが、私一人が山深い福井県敦賀市内の高速道路の現場。大阪から電車で敦賀に向かい、駅を降りてさらに雪が残る山あいの奥地に入った時にはとても寂しく思ったことを覚えています。

 初任地の現場では明かり工事で土工や構造物を担当。半年ほどたって先輩とチームを組み、1年目でも自分の意見を尊重してもらいながら、責任を持って仕事をさせてもらいました。もちろん失敗もありました。測量作業で確認を怠った結果、側道部分の整備でミスを犯してしまいました。所長から注意され、技術屋として確認を徹底することの重要性を身にしみて感じました。

 特に思い出深い現場は奈良県生駒市の「東大阪生駒電鉄生駒トンネル東工区工事」。JVのサブでしたが、トンネル工事で初めて切羽を担当し、代表企業の鹿島の方々からも多くのことを学びました。

 切羽の貫通精度が一番の肝となることから頻繁に測量を行い、貫通前の数日は寝られなくなるほどの緊張に襲われます。現場所長は大学の大先輩に当たり、「卵1個までの誤差で収めろよ」とはっぱをかけられ、プレッシャーは大きかったです。貫通時に誤差は1センチ程度に収まり、所長からも大変褒めていただき、土木技術者としても大きな転機になりました。

 JVサブの現場でも若い人たちには自分を成長させる好機と捉え、前向きな気持ちで頑張れと伝えています。どこの現場でもいろんなものを吸収し、ステップアップできる。ただ、現場所長を一度も経験できなかったのは今でも心残りではあります。

 仕事をなす時に個人の力には限界があり、チームの力でどう困難を乗り越えていくかが重要。必ず人はミスを起こすという前提に立って行動する。周りのアドバイスや意見に耳を傾けながらリスクを減らす。チームの一人一人が責任を感じ、前向きに取り組む姿勢が何より大切です。

 いまの若手は少しおとなしい印象があり、昔よりも密度の濃いコミュニケーションが必要だと感じています。われわれも歩み寄りますが、若手からも積極的に発信してほしいです。

入社8年目ころ。生駒トンネル東工区と中工区
の貫通を祝って(写真㊧が本人)
(さみぞ・ときひこ)1978年京都大学工学部交通土木工学科卒、大日本土木入社。執行役員土木本部土木部長、常務執行役員経営企画本部長兼戦略事業部長などを経て6月から現職。岐阜県出身、63歳。

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