2019年9月10日火曜日

【駆け出しのころ】青木あすなろ建設取締役専務執行役員・高橋禎夫氏

 ◇熟慮断行の思いつなぐ◇

 石原裕次郎さんが主演した「黒部の太陽」や、吉村昭の長編小説『高熱隧道』に感銘を受け、大学では土木を専攻しました。当時は列島改造論などを受けて土木プロジェクトが華やかな時代にあり、就職先はゼネコンに自然と目が向きました。

 青木建設(現青木あすなろ建設)での初任地は、四国の最西端・佐田岬にある国道トンネル工事。東京から当時の大阪支店に寄って一泊した後、翌朝に新幹線や在来線、連絡船などを乗り継ぎながら丸1日かけて現場にたどり着きました。それまで東京の実家を出たことがなく、豊かな自然の中での暮らしに新鮮さを感じつつも、夜はいさり火以外に明かりがなく、店も見あたらない土地に立ち、寂しくなったのを覚えています。

 事務所兼宿舎と現場を往復する毎日で、トンネルの基本測量ばかりやっていました。最初のころは仕事を続けることへの不安もありましたが、現場や地域の方々とのアットホームな交流が心の迷いをかき消してくれました。現場で感激したことは、ミリ単位の誤差で収めたトンネル貫通と、完成を待ち望む地域住民の大応援です。

 続いて本州四国連絡橋のうち、淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋の工事に従事しました。多くの関係者と交流し、思い出深い現場の一つです。入社4年目に担当した関西電力の赤穂火力発電所の新設工事では、大量の土砂を海上輸送してポンプ船を使って埋め立て、東京ドームの2倍程度の陸地を創出しました。パソコンが普及し始めたころと重なり、現場管理にコンピューターを試行した初弾のモデル現場でもあり、多くのことを学ぶことができました。

 工事完了後、コンピューターへの関心が高まり、希望を出して東京本社の情報システム部門に異動。素人ながら現場経験を買われ、ユーザー目線で現場管理のプログラムづくりに携わりました。2年後に再び現場勤務となり関電のダム本体工事を担当しました。ダム堤体の解析や品質管理など、当時の経験はその後の技術士資格の取得につながったと思います。

 現場勤務のほか、技術研究所や本社の土木・営業・管理部門での内勤に続いて、風力・太陽光発電といった再生エネルギーのプロジェクトを任されました。当時はゼネコンの中でも先進的な取り組みで、その成果は当社の強みになっています。

 リクルートの場面では自らの体験を通して、専門分野を究める「スペシャリスト」だけでなく、さまざまな分野で活躍できる「ゼネラリスト」も目指せる会社だとアピールしています。

 「一つ一つを一生懸命やるけど、うまくやろうと考えるな。自分が納得した上で徹底的にやりなさい」

 入社時に現場所長や先輩社員から掛けられた熟慮断行を促す言葉は、若い世代にも伝えています。気負わず、時間がかかっても確実に理解した上での行動が何より大切です。

入社4年目ころ、赤穂火力発電所の作業所で(右端が本人)
 (たかはし・よしお)1982年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部土木工学科卒、青木建設入社。東京土木本店副本店長や土木技術本部長などを経て、2018年から現職(取締役専務執行役員土木事業本部長兼技術本部長)。東京都出身、60歳。

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