2019年12月23日月曜日

【駆け出しのころ】三菱地所設計常務執行役員・河合康之氏

 ◇愛と笑いと涙の会社に◇

 学生から社会人になるまでの進路選択では、周りに流されていた面は否めません。大学2年の時、当初は建築を専攻しようと考えていましたが、仲のいい友人が土木を選ぶと聞き、土木に変えてしまいました。

 就職の際も特段の志望先があった訳ではありません。東京・霞が関や青山、虎ノ門など、同級生たちの職場先と張り合えるエリアを考えた時、丸の内に関心を持ち三菱地所も知りました。調べてみると、大学のOBが在籍し、土木職の採用枠もあったことから、自分もこの会社で何かできるだろうと思ったのです。余談ですが、大学OBが何十年前も先輩の官庁出身者だったのは後から知りました。

 入社後に配属された土木部門では地下通路やニュータウンの造成関連の業務を担いました。最初のころは仕事がそれほど忙しくなかったこともあり、定時の終業後には他部門の分室に出入りし、都市開発の計画づくりなどを手伝わせてもらいました。

 入社1年目で社内報に掲載された自作の文章にはリニアが東京駅に乗り入れ、地下から駅側を見上げると超高層のツインビルが立ち並んでいます。東京に関わることにこだわりがあって、これから東京はもっとすごくなるだろうから、自分もその中で何かをしたいなと漠然と考えていました。

 4年目の夏、神戸のニュータウン開発でゼネコンと共同で進めていた開発事業の許可が下り、現場へ異動になりました。地元説明で発言した際、長く事業に関わるゼネコンの方に「過去の経緯も知らない人間が生意気なことを言うな」と叱られたことを、今でも覚えています。厳しいこともありましたが、みんなでつくり上げる楽しさを共有できたことに感謝しています。

 30代半ばで東京に戻ってからは地下利用ガイドプラン策定や都心部の地下通路・地下駐車場の整備に携わりました。丸ビル建て替えにも計画段階で関わり、入社当時に描いた街がいよいよできるのだと、これまでにない高揚感がありました。

 どうしても超高層のビル群に目を奪われがちですが、街は人が楽しく歩けるヒューマンスケールの目線が欠かせません。地下利用や人流・物流を含めた交通ネットワークなど、街の発展性を見据えて将来を思い描くのは楽しい仕事です。

 若い人たちは殻にこもらず、何でも吸収しながら世の中のことに敏感になってほしい。周りには「愛と笑いと涙のある会社になろう」と言っています。愛がないとチームが作れず、笑いがないと良案が出てこない。涙を流すぐらい力を注がないと人も会社も成長しません。一人では限界があり、ワンチームで楽しく、頑張り続けることが大切です。

入社4年間ごろ。神戸ニュータウン開発事業の
関係者らとの花見会で(左端が本人)
(かわい・やすゆき)1983年東京大学大学院工学系研究科土木工学専攻修了、三菱地所入社。2001年6月に分社化した三菱地所設計に出向。執行役員都市環境計画部長や常務執行役員都市開発マネジメント部・都市環境計画部担当などを経て、18年4月から現職(常務執行役員コンサルティンググループ副グループ長)。愛知県出身、62歳。

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