2020年2月3日月曜日

【駆け出しのころ】三井住建道路取締役執行役員製品部長・平井克政氏

 ◇ものづくりで負けない気概を◇

 学生のころからインフラに興味を抱き、就職先はゼネコンも含めインフラ建設に携わる企業を第一に考えました。市民の日常生活で一番身近にあるのが道路。遠く離れた場所をつなぐ道路づくりに面白みを感じました。

 三井道路(現三井住建道路)に入社後、最初の配属先は技術研究所でした。特殊舗装の開発のほか、現場支援で全国を回りました。

 通常は研究所で実験などを行っていましたが、現場支援では夜間作業の現場が多く、不定期に夜勤の仕事が入りました。生活リズムに波があり、最初のころは体力的にも厳しかったです。

 知識も経験も足りていない若手が現場で技術指導するのも大変でした。特殊技術や新しい試験機などの導入に当たり、新たな専門的知識を頭に詰め込む必要があります。現場から呼び出しを受けて関連技術の資料を持っていき、説明しても「お前の説明では分からない」と言われます。各現場で条件や実情も異なり、逆に現場で教わりながら自己研さんの毎日でした。

 短期間で現場を見て回っていたため、一度見たり聞いたりしたことは忘れないようにメモを取っていました。先輩たちからも「同じ失敗を繰り返したら先に経験した現場での失敗の意味がなくなる。1度経験したものをきちんと自分のものにしろ」とよく言われました。

 技術支援などで現場経験を積み重ねながら1級土木施工管理技士の資格を取得。入社7年目には新潟のバイパス新設工事に携わり、施工計画の作成から完成まで一つの現場を初めて担当しました。自前でパソコンを購入し、現場のデータ管理に活用。もともと凝り性なところもあり、パソコンを勉強しながら表計算やグラフづくりに没頭してしまい、残業時間が過度に多くなり上司に怒られたのを覚えています。

 乗り込みから引き渡しの最後まで現場にいたので、技術者として多くのことを学ぶことができました。12月の開通式はあいにくの雨天で、式典用のテントが飛ばされそうになるほどの強風でした。最後まで苦労や心配も多かったですが、その分、開通の喜びは大きかったです。毎日仕事をしてきた現場が自分たちの手から離れ、一抹の寂しさも感じました。

 学生や新入社員には、舗装会社は「街のお化粧屋さん」だと話します。開通後の道路の良さとして、ユーザーが最初に感じるのは路面の走りやすさ。構造体はゼネコンや橋梁メーカーなどが造りますが、最終的な舗装の出来具合で道路の良しあしが左右されます。若手には自分の仕事に誇りを持つよう伝えています。妥協せず、より良いものづくりで周りには負けないという気概を持ち続けてほしいです。

入社7年目ころ、新潟のバイパス新設工事で現場関係者と(後列左端が本人)
(ひらい・かつまさ)芝浦工業大学土木工学科卒、三井道路入社。技術研究所長や工事本部副本部長などを経て2019年から現職。東京都出身、54歳。

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