2020年3月16日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・249

休日には妻と二人でヒマワリ畑をスケッチしにいくことも
◇「自分の作品」への執着が消えた◇

 「これは自分が設計した作品だ」-。そう胸を張れることが、設計者として何物にも代えがたいモチベーションだと思っていた。しかし、いざ現場を離れて部下を管理する立場になると、自分の手で設計した時とは別のやりがいを感じられるようになった。北海道の設計事務所に勤務する松戸宏昌さん(仮名)はそんな自身の気持ちの変化に驚いている。

 大学で建築を学び、就職先を決める際は「自分の手で作品を設計したい」と組織設計事務所かアトリエ事務所で迷った末に組織設計事務所を選択した。設計を担当した社員が退職した後も、組織として何年も何十年もその建物に携わっていける点に魅力を感じたからだ。

 27歳で東京、翌年には名古屋に転勤した。自分の手で設計したいという思いは入社後数年でかなえられ、1年間に1件程度のペースで作品を手掛けていった。しかし年齢や経験を重ねるとともに立場も変わる。40代にはマネジャーとなり、現場の第一線から退いた。

 管理職に就任した当初は部下や後輩を指導したり、管理したりする仕事に追われ、「こんなことをするため設計事務所に入ったんじゃない」というネガティブな感情にとらわれていた。管理者ではなく、建築デザイナーとして働きたいという気持ちをしばらく捨てきれなかった。

 自分の手で設計することへの執着が消えたのは、部下が設計した作品を素直に「良い」と思えた瞬間だった。自分が設計するよりもいいものが描けたのではないかとすら思った。「自分が指導した部下がいいものをつくった」。そう思うと、心からうれしかった。

 現場にいたころは1年に1件程度だった設計数が、自分が直接デザインに携わっていないにもかかわらず、一気に10件以上まで増えたような感覚。「この立場になって初めて気付いた喜び。人を育てる側の立場の者として、成長したということなのかもしれない」。松戸さんは当時の心境の変化をそう解釈している。

 ライバル設計事務所とのプロポーザルであっても、「自分が設計すること」への執着がなくなった。よその事務所に設計プロポーザルで負けると悔しい上に経営上も厳しくなるが、「せっかく受注したんだから、いいものをつくってくれ」と、本心からそう思えるようになった。立場が変わったことで、ものの見方も変わっていた。

 管理職としての名古屋での勤務を経て数年前、札幌に着任した。初めての北海道暮らしということもあり、休みの日には遠出するようになった。夏には北竜町にあるヒマワリ畑を妻と2人でスケッチしにいくこともある。

 妻と互いのスケッチを見せ合っていると、「どんなものでも、一人ではつくれないのだな」と実感する。誰かに作品をほめてもらったり、作品が完成した喜びを分かち合ったりすることで喜びや楽しさは何倍にも膨らむ。仮にたった一人で設計を成し遂げられたとしても、それがどんなに素晴らしい成果だとしても、今となってはあまりうれしいと思えないような気がしている。

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