2020年3月9日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・248

霞ヶ関の不夜城も働き方改革への対応でかわりつつありる
◇機動力ある「ワンチーム」目指して◇

 工業高校を卒業後、国土交通省の地方整備局に入局した田辺和憲さん(仮名)。社会人になって四半世紀が経過しベテランの域に入りつつある。国家公務員になるつもりは毛頭なかったが、「父の存在が進路決定に大きく影響していたと思う」と入局のきっかけを振り返る。

 田辺さんの父親は市役所に勤務していた。市民のために働く姿を見て、父親を尊敬していた。高校卒業後の進路を考え始めた高校2年生の時は漠然と事務職に就きたいと思っていた。だが具体的な将来像が描けず、当時、営繕課長を務めていた父親に進路を相談することにした。

 父親は“これをやれ”と言わない代わりに、学校や美術館の整備など自身が手掛けたプロジェクトの苦労話や仕事のやりがいなどを話してくれた。

 「今思えば、自分の仕事のやりがいや誇りを伝えることで、暗に公務員の道に誘導していたのかもしれない」

 父の話を聞いて公務員の仕事に興味がわき、地元の県を所管する整備局の試験を受けてみることにした。

 試験を無事通過し晴れて国家公務員になった後、本省勤務も何度か経験した。予算案の作成担当になった時は、月曜日に衣類を入れたキャリーバッグを引いて出勤して省内で寝泊まりした。帰れるのは週末で、また月曜日にキャリーバッグとともに出勤するという日々だった。“不夜城”と呼ばれる霞が関の一端を垣間見た気がした。体力的、精神的に厳しい時もあったが、担当者全員が文字通り寝食を共にしながら業務にまい進した。「一人一人が責任感を持って協力しながら一つの目標に向かって突き進む、今で言えば“ワンチーム”を体感した。あの感覚は忘れられない」。

 予算担当の後は物流関係の政策立案にも携わった。通常業務に加えて、有識者会議の運営を一人で担うことになった。課題や背景の整理、データ収集、議論のたたき台になる事務局案の作成。有識者の意見を踏まえた修正作業や調整にも奔走した。努力の成果は政策の方向性とアクションプランという形で実を結んだ。

 ただ自分が異動した後、担当していた業務の専門部署が新設され、5人体制になったと聞いた時は「最初からそうしてくれ」と笑うしかなかった。「働き方改革の“は”の字もない時代だったし、若くて体力があったからできた。もう一度やれと言われたら逃げ出したくなるが、あの経験があって自分の仕事に自信が持てた」。過去の苦労も今となってはすべてが良い思い出だ。

 現在は地方整備局の出先事務所で施設保全を担う仕事に就いている。上司や同僚との関係は良好だが「仕事に懸ける熱量が圧倒的に低い」と職場の雰囲気に強い危機感を抱いている。新しいことをやろうとしても組織として腰が重く、若手にも覇気がないようにどうしても感じてしまう。

 理想のチーム像はやはり機動性の高い“ワンチーム”。実現には劇的な意識改革が必要となる。「押しつけはよくない。まずは自分から仕事にやりがいや魅力を感じたい」。父に影響された自分のように、仕事に懸ける思いがいつかは周囲にも伝わると信じている。

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