2020年8月31日月曜日

【回転窓】透ける公衆トイレ

  公衆トイレに対する評判の悪さは世界共通のようで、衛生水準の高い日本でさえも暗くて汚く、臭いと思われがち。特に公園のトイレは利用をためらう方も少なくないだろう▼そんな公衆トイレのイメージを改善しようと、日本財団は東京都渋谷区の公園に17の公衆トイレを設置するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」を始動。デザインを16人のクリエーターに依頼した。中でも建築家・坂茂氏が手掛けた「透けるトイレ」が話題になっている▼パステルカラーに着色されたガラスの壁で囲まれ、白い便器が透けて見える。入る前に中がきれいかどうか、誰もいないか確認できる。施錠するとガラスの壁が不透明になるのでご安心を▼夜になるとガラスの壁がライトアップされて「美しいあんどんのように公園を照らす」と坂氏。“映える”公衆トイレを使うのは少し恥ずかしい気もするが、安全や防犯の面からも優れた公衆施設と言えよう▼プロジェクトでは清掃を行き届かせる仕組みもできている。快適なトイレの維持にはまず利用者一人一人が次に使う人を思い、きれいに使用するという気配りが大切だろう。

【3万匹の金魚が泳ぐ幻想空間】東京・日本橋にアートアクアリウム美術館開業


 3万匹を超える金魚が泳ぐ「生命の宿る美術館」が誕生-。夏の風物詩として愛されてきた水族アート展覧会の常設施設「アートアクアリウム美術館」が東京・日本橋に28日開業した。

 金魚に特化し江戸の花街を連想させる幻想的な空間を創出。普段見る機会の少ない貴重な種類から、お祭りなどで見るなじみ深い種類までさまざまな金魚を展示する。日本の伝統文化と最先端技術を組み合わせ、来館者が五感で楽しめる施設という。

 美術館は豪華であでやかな花街を再現した「花魁道中」や、大きな円柱の水槽が立ち並ぶ「金魚の杜」などの空間で構成。40個もの三角柱の水槽を合体し、金魚が幾重にも重なって泳いでいるように見せる神秘的な作品「インフィニトリアム」といった唯一無二の作品を展示する。

 所在地は東京都中央区日本橋本町1の3。建物は2階建て延べ2321m2の規模。特別協力として参画する三井不動産が施設を整備した。世界初の常設展で、展示規模も過去最大となる。

【総延べ4.9万㎡、年度末着工へ】としまえん跡地開発(東京都練馬区)、設計は久米設計に

 


 伊藤忠商事らが東京都練馬区の遊園地「としまえん」跡地で計画する開発事業の概要が分かった。ワーナーブラザースジャパンの映画「ハリーポッター」シリーズのスタジオツアー施設をはじめ、車庫など総延べ約4・9万平方メートルの施設群を整備する。設計は久米設計。2021年3月初めの着工、23年2月末の竣工を目指す。施工者は未定。

 スタジオツアー施設を巡っては、▽ワーナーブラザースジャパン(施設運営者)▽西武鉄道(土地所有者)▽伊藤忠商事(施設建築者)▽芙蓉総合リース(施設所有予定者)-の4社が18日に整備の本契約を結んだと発表した。

 施設の名称は「ワーナーブラザーススタジオツアー東京 -メイキング・オブ ハリー・ポッター」。ハリーポッターシリーズの映画撮影に使用したセットや小道具などを展示し、映画の世界観が楽しめる施設になる予定。23年前半の開業を見込む。

 としまえん(向山3の25の1)は、31日に閉園する。9月から既存建物の解体工事に入るとみられる。都が計画する「(仮称)練馬城址公園」(約26・6ヘクタール)の整備区域に含まれる。都と区、西武鉄道、ワーナーブラザースジャパン、伊藤忠商事の5者は、公園整備に向けた覚書を6月に交わした。スタジオツアー施設の設置可能期間は、運営開始から30年と設定した。

【パシコンらが整備・運営】神奈川県立公園(横須賀市)に新コンセプトのBBQ施設オープンへ

  神奈川県横須賀市の県立観音崎公園に9月19日、新たなコンセプトのバーベキュー施設「BEACH⇔PARK LIVING(ビーチパークリビング)」がオープンする。

 パシフィックコンサルタンツと横浜緑地(横浜市磯子区、樋熊浩明代表)で構成する共同事業体が、神奈川県の県立公園で初となるPark-PFI事業として整備した。海と公園を同時に楽しめるくつろぎ空間の創出を目指す。

 所在地は横須賀市鴨居、走水。事業対象は観音崎公園内の「たたら浜園地」(面積8500m2)。視界を遮るものがないオーシャンビューサイトで、くつろぎながらバーベキューやカフェ、バーでの飲食が楽しめる。道具の用意や後片付け、ごみ処理も不要で、手ぶらで参加できる施設という。

 観音崎公園の新たな集客施設として同地区をはじめ三浦半島全体の活性化に寄与するコミュニケーションの場を目指すとしている。

【凜】国土交通省九州地方整備局営繕部・菅原麻未さん

  ◇「次に何が必要か」をイメージ◇

 九州地方整備局に採用されて7年目。本局で予算や設計を担当後、鹿児島営繕事務所では現場監督として従事。4月から再び本局勤務となった。

 この間、林野庁の支出委任で建設された西都児湯森林管理署(宮崎県西都市)には、設計と監督という立場で関与した。「図面で見ていた建物が実際に出来上がった時は感慨もひとしおだった」と振り返る。

 熊本県庁の土木職だった父親の影響もあってか、街づくりや公共工事に興味があった。地元の大学で建築を学んだ後に行政の道を選んだ理由の一つが「規模の大きな事業にも携わることができるから」。

 初めての積算の仕事もようやく5カ月が過ぎた。「現場での取り組みと費用がリンクしていることが見えてきた」と話す。仕事に取り組む上で常に心掛けるのは「次に何が必要か」をイメージすること。そうした積み重ねで知識を蓄えていくことで、どんな担当になっても自身の仕事に生かせるようにすることが今の目標だ。一から立ち上げる新築物件にも携わりたいという希望も抱く。

 国土交通省の営繕組織にも女性技術者が増えてきた。一緒に研修へ参加した同期と仕事上で連絡を取り合うこともある。全国に仲間がいることにありがたみを感じる。

 趣味は旅行。数年前に訪れた北陸から憧れの白川郷まで足を伸ばして見て回ったのは良い思い出という。

 (整備課積算係長、すがはら・まみ)

【やっぱり!マイユニホーム!!☆番外編☆】清水建設「マウスシールドで熱中症と新型コロナ対策を両立」

  新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される中、清水建設が夏の現場を支える新たなアイテムを導入した。マスクを着用すると熱中症リスクが高まる屋外の建設現場向けに、飛沫(ひまつ)を防止するマウスシールドを配布。マスク着用時の息苦しさを緩和しつつ感染リスクを抑える。主に屋外現場で施工管理に当たる社員や作業員が着用する。

 マウスシールドは顎に装着するプラスチックパッドに、口の周りを覆う透明なプラスチックフィルムが取り付けてある。着用時の息苦しさを感じずに唾液の飛散を防止。ヘルメットを着用したままでも使用可能だ。

 現場でマウスシールドを着用した社員は「熱がこもらず飛沫対策もできるため、炎天下の屋外では重宝している」と使い心地を話す。また「マスクだと顔がほとんど隠れてしまうのに対し、マウスシールドだと相手の表情もよく分かる。現場で指示をする際にも意思疎通がしやすい」とコミュニケーションでもメリットを感じている。

 女性社員からも好評のようだ。「化粧がマスクに付着することや化粧崩れがなくなるのでありがたい」と話している。

【駆け出しのころ】大成ロテック取締役常務執行役員営業本部長・植貢氏

  ◇人とのつながりが財産に◇

 土木技術者として全国の現場での出会いが、さまざまな縁をつないでくれたと思います。大学卒業後、地元・北海道の建設会社に入社し、大成道路(現大成ロテック)が施工する現場に2年間技術者として関わり、当時の現場の作業所長にも気に入られ、大成道路に入社することになりました。

 舗装が専門ではなかったものの、土木工事の現場経験は豊富だったことから、北海道支社時代は冬季転勤で全国の現場から声が掛かりました。親会社の大成建設に出向する形で現場に配属され、千葉モノレールの関連工事など、都市土木を中心に特殊工事をよく任されました。

 30代前半の札幌作業所時代に担当したサッポロビールの大規模開発プロジェクト「サッポロファクトリー」も思い出深い現場です。12社構成のJVで職員約50人のうち、土木技術者は出向者の自分一人。建物同士をつなぐ地下通路を構築する現場で、供用中の幹線道路をオープン掘削で覆工する難工事でした。道路下には数十本の埋設管があり、つり防具で管を支えて随時監視しながらの掘削作業。万が一、大きなガス管や水道管を破損したらと想像すると、冷や汗が止まりませんでした。

 入社8年目には当社最北の遠別作業所に異動し、舗装関連の仕事が中心となりました。遠別での9年間は舗装のことを勉強しながら合材の工場長、作業所長を任せてもらいました。生まれ故郷に近く、身内の看病などで大変だった時も部下のみんなが作業所を守り、支えてくれました。感謝の言葉しかありません。

 昔から一度仕事を一緒にやると、長年付き合ってきたような感じでみんなと親しくなりました。現場の職長や一般の作業員など、多くの方々に「植さんの現場ならどこにでも行くから」と温かい声を掛けられるのはありがたく、人とのつながりはかけがえのない財産です。

 人との付き合い方で特に意識していることはありませんが、地元で建設業を営んでいた父親の「人の集まらない家、人が集わない会社は栄えない」という言葉が今も耳に残っています。幼少のころから周囲に多くの人たちが集まっていたので、基本はさみしがり屋なのだと思います。

 若い人たちには技術的なことよりも、ものづくりに携わる思いを伝えていきたい。良いものを造ることへの執着を持ち、仕事を好きになること。誰でも好きなものは真剣になれます。安全も含めてより良いものづくりにはこうしたマインドが欠かせません。責任の大きさから現場所長になりたがらない若手もいるようですが、人との関わりを大切にしながら所長を目指してものづくりの面白さを味わってほしいです。

30代前半、北海道の土木現場で
 (うえ・みつぐ)1980年北海道工業大学工学部土木工学科卒。89年大成ロテック入社。北海道支社営業部長、本社企画情報部部長兼監査部部長、執行役員北関東支社長、同営業本部副本部長などを経て2020年から現職。北海道出身、62歳。

2020年8月28日金曜日

【回転窓】メンテナンスはやっぱり大事

  住んでるマンションの共有庭に雑草が生い茂っていた。梅雨明けから1カ月余りがたち、夏本番を迎えて草木も成長期に入ったのか▼いつもなら手入れが行き届いているはずなのにと疑問に思い、管理人さんに聞いたところ「(新型コロナウイルスの影響で)多くの人が出入りするのを嫌がる方もいて…」と言葉を濁していた▼新型コロナの影響ではないだろうが、英ロンドンの観光名所タワーブリッジの橋桁が先週、開いたまま閉じなくなり大渋滞を引き起こしたそうだ。技術的な問題が起こって動かなくなり、復旧まで数時間かかったという▼タワーブリッジはロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋で1894年に完成した。都市建築家のホーレス・ジョーンズが設計。長さ244メートル、橋の左右にあるゴシック様式の主塔は高さ65メートルで、今は電動だが、完成初期は蒸気機関で橋桁を開閉していた。川を行き来する船舶のために今も年間800回は開閉するという▼完成から120年以上が経過しても市民の暮らしや経済活動を支え続け、多くの人が訪れる観光名所。行き届いたメンテナンスはやはり大切なのだろう。

【ご冥福をお祈りします】中村光男氏(元日建設計社長)が死去

  日建設計(東京都千代田区)で社長を務めた中村光男(なかむら・みつお)氏が13日、膵臓(すいぞう)がんのため死去した。東京都出身、79歳。葬儀は近親者で済ませた。喪主は長男の領(りょう)氏。お別れの会は行わない予定。

 中村氏は1967年東京芸術大学大学院建築科修士課程修了後、日建設計工務(現日建設計)に入社した。公共、民間を問わず数多くの大規模建築の設計に従事。代表作品に「大宮ソニックシティ」(さいたま市大宮区、88年完成)などがあり、建築業協会(現日本建設業連合会)のBCS賞など多数の受賞歴がある。

 2004年から社長を務め経営の陣頭指揮を執った。在任中は日建設計コンストラクション・マネジメント(NCM)を含むグループ会社を設立し多様化する発注者ニーズに対応。積極的な海外進出を狙い複数の海外拠点を設置し、経営規模の拡大を進めた。07年の新春インタビューで「他国に日建設計の名を高めたい」と話すなど、企業ブランドの向上に力を注いだ。

 08年1月に社長を岡本慶一氏にバトンタッチし代表取締役会長就任。14年会長、15年1月から最高顧問を務め16年12月に退任した。

【高速道路の路上作業、より安全に】中日本高速道路会社、新型車両「ハイウェイ・トランスフォーマー」導入


  中日本高速道路会社と中日本ハイウェイ・メンテナンス名古屋は、交通規制を伴う路上作業時の作業員の安全確保を目的に東邦車両(横浜市鶴見区、辻和博社長)と共同開発した大型移動式防護車両を公開した。併せて同車両の名称を「ハイウェイ・トランスフォーマー」に決定した。

 高速道路での路上作業中に、通行車両が規制区域内に誤って進入し工事車両などに衝突する事故が増えている。作業員が死傷するケースもある。このため2018年12月から開発を進めていた。

 車両全長は走行時が15・9メートル。作業時は23・4メートルに伸び、メインビームを左右に移動することで作業スペース(約10メートル×約2メートル)を確保する。LED標識装置のほか車両後部に衝撃波緩衝装置を備え、さらにその後方に防護車両を配置することで作業員の安全を確保する。4月から三重県内の高速道路で運用している。

2020年8月26日水曜日

【回転窓】もはや高嶺の花か

  雄雌を意識して食べたことはないが、サンマは一般的に雌がおいしいらしい。見分け方は下あごの色。雄はオレンジ色、雌はオリーブ色という▼サンマは安価で栄養価が高く大衆魚の代表格。脂の乗ったサンマはビタミンAが豊富で、牛肉のロースと比べても12倍ある。ビタミンAは風邪や肺炎の予防に効くと言われ、感染症予防のための免疫力アップにはうってつけだ▼血合いには貧血に良く効くビタミンB12が多く含まれ、他の魚の3倍以上も。よく焼いたサンマを同じく旬のかぼすをかけていただく。おいしさだけでなく、夏バテで弱った体も回復してくれそうだ▼サンマはここ数年、不漁続きで値段が高騰している。一昨日、北海道厚岸町で棒受け網漁の初競りが行われ、去年の約5倍の1キロ当たり1万1880円の値を付けた。地元の直売所で付けられた価格は1匹480~1200円。この値段ではとても庶民には手が出ない▼今回の初競りは中型船が水揚げしたもの。大型船も現在公海で漁をしており、これから順次水揚げする。自粛生活が続く中でせめて安価でおいしいサンマをと思うのは、ぜいたくな願いなのか。

【施工は竹中工務店JV、10月3日グランドオープン】富岡製糸場西置繭所、保存整備工事が完了


 群馬県富岡市が進めてきた富岡製糸場(富岡1の1)・国宝「西置繭所」の保存整備工事が完了し、10月3日にグランドオープンする。設計・監理は文化財建造物保存技術協会、施工は竹中工務店・タルヤ建設(富岡市)JVが担当。2015年1月に着工した。

 富岡製糸場は1872(明治5)年に国内初の官営製糸工場として完成した。1987年の操業停止後、2005年に敷地が国の史跡、06年には創業初期の建物群が国の重要文化財(重文)に指定された。14年に重文のうち繰糸所、東置繭所、西置繭所の3棟が国宝になった。世界文化遺産の登録は14年6月。施設は富岡市が所有、管理している。

 西置繭所は創業時に建設された2棟の繭倉庫のうちの1棟。木の骨組みにれんがで壁を積み上げる「木骨(もっこつ)れんが造」という方法で建てられた。2階建て延べ2974平方メートルの規模。長さが約104メートルあり、屋根は桟瓦ぶき。

 保存整備工事では保存修理と耐震補強を実施した。施設を活用するため1階にハウスインハウス手法によるガラス張りのギャラリー(資料展示室)と多目的ホールを整備した。

 西置繭所の保存整備工事は世界遺産登録後、本格的な保存整備工事の初弾となる事業。着工時期は未定だが次は東置繭所の保存整備工事に入る予定だ。

【収容3万人規模、概算事業費は230億~270億円】広島市サッカースタジアム等整備、計画概要資料の提供開始

  広島市はサッカースタジアム等整備事業について計画概要の資料提供を24日に開始した。サッカースタジアムはDB(設計・施工一括)方式での発注を予定していることから、参加を希望している事業者からの提案がより良いものとなるよう、入札公告に先立ち資料を提供する。

 提供期間は31日まで。合わせて、発注作業への参考とするため計画概要資料などへの意見も9月4日まで求める。市はこれらの意見を踏まえ、広島県、サンフレッチェ広島、市議会などの承認を得て発注する。

 資料提供の対象者は、建設コンサルタント業務等または建設工事の競争入札参加資格者。提供資料は3月に策定した「中央公園サッカースタジアム(仮称)基本計画」に基づいた建築計画、構造、設備、フィールド、ペデストリアンデッキなどの施設計画概要や、事業者の業務範囲、参加資格要件、選定スケジュールなど募集要項案(素案)などを含んでいる。

 市は同市中区基町15の中央公園広場(敷地約8万5600平方メートル)にサッカースタジアムを建設するとともに、効果的なにぎわい機能の導入などにより、中央公園広場全体が一体的に機能するような広場エリアの再整備を計画している。

 敷地西側にスタジアム、東側に広場を配置する。それぞれのコンセプトとして、サッカースタジアムは「世界に誇れるサッカースタジアム機能を核とし、多目的かつ多機能化した都心交流型スタジアム」を、広場エリアは「子どもから大人まで多様な利用者が年間を通じて集い・交流できる拠点性の高い空間」を設定。これにより中央公園全体を「みんなが集まる“わくわく”スタジアムパーク」とすることを目指す。

 収容人数は3万人規模とし、サッカー以外のスポーツやスタンド下の空間の活用など多様な利用ができる計画とする。広場エリアの再整備にはPark-PFIなど民間事業者の資金・ノウハウを活用した方式の採用を予定している。

 概算事業費は、サッカースタジアム建設、公園再整備、ペデストリアンデッキ整備、埋蔵文化財発掘調査などに230億~270億円と試算している。事業スケジュールは、20年度に設計・施工の発注準備と事業者選定を行い、23年度にかけて基本・実施設計、建設工事、開業準備を進める。

【万博の顔、パンチとオリジナリティー前面に】大阪・関西万博のロゴマーク決定

 2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)協会は25日、万博のロゴマークをチーム・イナリの作品に決めた。

 1970年大阪万博のロゴの一部や赤い楕円(だえん)を環状線のようにつなげ、「いのちの輝き」がテーマの万博を表現した。チーム・イナリのシマダ・タモツ代表(シマダデザイン代表)は「パンチとオリジナリティーのあるものを作りたかった。万博の顔になるのが最高にうれしい」と喜びを語った。

 ロゴマークの募集には5894点の作品が寄せられた。3日に候補作5点を公表。意見募集後に建築家の安藤忠雄氏が座長の選考委員会が選んだ。選定に当たり安藤座長は「万博のテーマである命。命もぶつかり合えるもの。そういったイメージのロゴを選んだ。違った方向を向いているデザインで、それがエネルギーになる。新しい時代を切り開こうという意思がある」とのコメントを寄せた。大阪・関西万博は25年4月13日~10月13日に大阪湾の夢洲地区で開催する。

2020年8月24日月曜日

【回転窓】処暑の新しい過ごし方を考える

 子供たちが手入れするアサガオの花が強い日差しをはじくように咲いている。濃いのと薄い紫、水色、淡いピンク。小さなソフトクリームのようだったつぼみが翌朝に開いているとまだまだ暑さの盛りのように感じる▼咲いたアサガオの花がいくつか毎朝数え、観察帳に記録するのが近所の小学1年生の宿題の一つという。これから咲くのか、しぼんだのか、色とりどりの花の前で悩む顔がほほ笑ましい▼観察帳を入れたランドセルを背負って、今日から登校するという。遅く始まって早く終わった今までと違う今年の夏休み。子供たちを迎える学校はひときわ苦労が多いと聞いた▼ゴム手袋の中を汗でびしょぬれにして手洗い場やトイレを教員と消毒、清掃してくれる人がいる。「サポートスタッフの増員など教育環境の充実に今後も努めていきます」。支援を講じる考えをツイッターからの情報発信に熱心なこの小学校のある政令市の市長が明らかにしていた▼日本感染症学会が「第2波のただ中」と再流行する感染症の現状認識を示した。一段と危機感を高めざるを得ない処暑の暮らしと経済活動の在り方を考えていきたい。

【凜】千葉県企業局管理部総務企画課・内山美希さん

 ◇目の前の仕事に全力投球◇

 さまざまな分野の仕事ができるという理由で県庁職員を選んだ。2016年4月に入庁し、19年4月から企業局管理部総務企画課に。現在は課内の政策・広報室で県営水道のPR活動やペットボトル入り水道水「ちばポタ」の関連業務などを担当している。将来は「中小企業支援や防災関係などの仕事をしてみたい」と希望している。

 昨年の台風15号襲来後、支援のために一時派遣された富津市で初めて窓口業務を体験した。慣れない仕事だったが「丁寧な対応を心掛けた」。でも「もっと分かりやすい対応の仕方があったかも」と反省を忘れない。貴重な経験を「これからの仕事にも生かしていきたい」と話す。

 現在の担当業務は外部の業者や技術系職員とのやりとりが中心。県民からの問い合わせも多い。これまで知らなかった専門用語や独特の言い回しを自分の中でかみ砕いて理解し「自分の言葉で分かりやすく伝えられるようにしている」。

 「先のことより目の前のことを着実にこなす」のが仕事のモットー。限られた時間を有効に使い何事にも全力を尽くす。

 将来の目標は「一緒に仕事をして楽しいと思ってもらえる人になる」こと。今の上司を理想像に挙げ、経験に裏打ちされた鋭い着眼点や広い視野を見習おうと思っている。

 (うちやま・みき)

【中堅世代】それぞれの建設業・264

注目度の高いダム工事にはプレッシャーも。
裏を返せば多くに人に理解してもらえるチャンスでもある

 ◇「ダムはみんなのもの」伝え続ける◇

  毎年必ずと言っていいほど記録的な集中豪雨や大型台風に見舞われる日本列島。想像を超えて激甚化する自然の脅威は、これまで考えられてきた水害の備えをいとも簡単に打ち砕く。豪雨時のダムの役割が注目を浴び、ダム建設の是非を巡る議論も再燃している。

 「ダムによらない治水と言われる。だが、むしろ堤防によらない治水を一生懸命に考えた末、ダムに行き着いた。雨の恩恵を受け、同時に悩まされてきた日本の長い歴史の中で行き着いた結論なんだ」。ゼネコンの土木技術者として、これまで5カ所ものダム工事に携わった藤沢剛さん(仮名)は「こんなに優れた装置はほかにはないのに」とダムが悪者扱いされる世相を憂う。

 「対岸の堤防を切りに行く」という雨にまつわる故事を引き合いに出す。洪水に備え堤防を高くすると、対岸の集落も負けじと堤防を上げる。揚げ句の果てには洪水時にわれ先に対岸の堤防を切りに行く。そうした水を巡る命懸けの争いに終止符を打ったのがダムだという。「ダムが平和をもたらした」と言っても大げさではない。

 入社当初、火力発電所の建設プロジェクトで中東の砂漠に赴任し「雨が降るありがたさが身にしみて分かった」。東南アジアやアフリカ、至る所に汚染した水を飲まざるを得ない人々がいる。かつての日本のように子どもたちが命を落とし、水資源を巡る紛争が後を絶たない。ダムで救える命が世界にはたくさんある。

 それなのに日本では、豊かな水資源のありがたさやダムの価値への理解が薄れてきている。ダム建設の意義を積極的に伝えようと、直近の現場では地域住民はもちろん、アポ無しの見学者も拒まずに受け入れ、必死でダムを造る姿をさらけ出してきた。

 「(工事関係者を)よそ者と思ったままだと、ちょっとした騒音や振動でさえ頭にくるものだ。こちらからオープンになれば、自分たちの身内と少しでも思ってもらえるのではないか」。農閑期に村人が総出で築造した「ため池」に公共事業の原点を見る。そこにあった「みんなのもの」という意識を取り戻したいと思っている。

 ただ厄介なことに、ダムの役割や効果は目に見えにくい。良さを実感してもらうのはとても難しい。見学者などに説明する際、肝に銘じているのは「伝えてなんぼ、ではなく、伝わってなんぼ」。聞く側の立場になり、真剣に熱意を持って説明することを心掛けているという。

 技術者としてほぼダム一筋で生きてきた。ダム工事の魅力をこう話す。「工事に携わる全員の意思統一ができていると恐ろしいほど力が出る。仕事の質がまるっきり変わってくる。それを肌身で感じられるのがダム工事。だからダイナミックなんだ」。

 すべての工事関係者にとってダム工事は一生ものの大仕事だ。「だから悔いが残るような仕事は絶対したくない」。そう語った藤沢さんは、突然ニカっと笑顔を見せて「だってダムって、杭が無いからね」。冗談を言う時までダムへの愛がにじみ出る。

【やっぱり!マイ・ユニホーム!!】飛島建設「伝統と先進の法被」

 

 日本の伝統的な衣装である法被を洋装テイストにアレンジ。スタイリッシュな「HAPPI」として今月から着用を始めた。

 ベースカラーに紺を採用して古くからある「飛島組の法被」のイメージを継承。前後の3カ所には飛島建設のスローガン「New Business Contractor」をあしらい、伝統と先進の融合を表現した。

 法被の製作では、2018年度に同社のイベント用ユニホームの製作で協力したUniform Circus BEAMSと再度タッグを組んだ。

 法被は夏用で、生地は通気性の良いポリエステル。女性向けに袖の長さを調整できるようにするなど、細部にまでこだわって仕上げた。

 企画本部広報室の北澤朋美副主任は「伝統を重んじながらも新しいものを積極的に取り入れるという、当社の経営姿勢がアピールできる一着」と法被の魅力を話す。展示会や現場見学会、社会貢献活動で着用するなど、PR方法を検討する。

 「法被は非常に日本らしい衣装。将来的には海外でも使用していきたい」(北澤副主任)と今後の展開に意欲を見せる。

【駆け出しのころ】鹿島常務執行役員技術研究所長・福田孝晴氏

 ◇何事も基本を正しく理解◇

  高校1年の夏休み、東京へ遊びに行った際、前年に完成した西新宿の京王プラザホテルのほか、周囲で施工中の超高層ビルの現場を見ました。その力強い骨組みに魅了されたのを今でも覚えています。

 大学では構造力学を学び、新宿の超高層ビルを数多く施工していた鹿島に入社。配属先の設計部門は思い出の場所である西新宿に当時ありました。

 最初の仕事は広島にある竹原火力発電所の貯炭施設。既に設計を終えて施工中だった施設の解析業務を任されました。直径124メートルのドーム屋根を架ける大スパンの構造物を経験し、構造設計の面白みを感じることができました。

 入社3年目に自分がメインで構造設計を担当した劇団四季のキャッツ・シアターも思い出深い仕事の一つ。西新宿の一画に、テント屋根の仮設構造物の劇場を約1カ月の短工期で建設しました。初演の20日ほど前には、その年一番の強い台風が西日本に上陸。通常の建物同様の風荷重で設計していましたが、心配になって現場に行くと、テントが強風で大きくはためく様子が劇場の屋根裏から見えました。台風や地震など厳しい自然が相手の構造設計を担う者として、責任と覚悟を持って取り組まなければと強く思いました。

 4年目には海外案件の設計グループに移り、マレーシアの銀行から設計・施工で受注した20階建ての長期滞在型アパートを担当しました。設計基準は英国のブリティッシュ・スタンダード(BS)のため、英語表記の参考書などで一から勉強の毎日。もともと英語は苦手でしたが、英会話など語学のスキルアップにも自分で工夫しながら取り組みました。

 設計図書の作成後、現場に赴任して設計監理を担当したこともいい経験になりました。ただ、現地の経済環境が悪化し、施工途中で現場がストップ。完成した建物を見ることなく帰国したのは残念でなりません。

 続いて、中国・上海で米国企業が進める総延べ18・5万平方メートル規模の複合開発事業に携わりました。今度は米国の設計法を勉強することになりましたが、BSの知識が役立ちました。各国で表現の仕方などは異なっても本質は変わらず、何事も基本を正しく理解する大切さを学びました。

 少し離れて全体を見ることで、物事がどのように釣り合っているかが把握でき、本質もより良く理解できます。大学時代に学んだことが仕事を通して身に付いていくのが実感できました。

 若い人たちには、何事にも前向きに取り組む「キュリオシティ(好奇心)」、顧客にとって最適なものを見定める「コストマインド」、新しいことに挑戦する「チャレンジスピリット」の三つのCを大事にしてもらいたい。出会いやチャンスを大切に積み重ね、自らを磨き上げてほしいです。

入社5年目、マレーシアの建設現場で(右端が本人)
 (ふくだ・たかはる)1981年京都大学工学部建築学科修士課程修了、鹿島入社。執行役員建築設計本部副本部長、同技術研究所長(現任)などを経て2018年4月から現職。山口県出身、64歳。

2020年8月20日木曜日

【集中豪雨に備え、4000㎥を一時貯留】渋谷駅地下に巨大雨水貯留施設、8月31日に供用開始

  東急と都市再生機構は19日、両者が共同施行者となって東京・渋谷の渋谷駅東口の地下に整備してきた雨水貯留施設を報道陣に公開した。

 多発する集中豪雨への備えとして、地下約25メートルに約4000立方メートルの雨水を一時的に貯水するインフラを整えた。1時間に50ミリ以上の雨が降った場合に排水を超過する雨水を取り込み、天候の回復を待って既設の下水管にポンプで排水する。

 雨水貯留施設は南北約45メートル、東西約22メートルのサイズ。1時間に75ミリの降雨に対応できる。代表者を東急、技術的な事項を担当する同意施行者を都市機構が務める渋谷駅街区土地区画整理事業共同施行者が、駅前広場の整備をはじめとする都の都市計画事業の区画整理の中で建設してきた。「水害に強く安全・安心なまちづくりの実現」を目指した。施工は東急建設・清水建設・鹿島JVが担当した。31日から供用を開始し、東京都下水道局が管理する。

 駅周辺はビルが多く、雨水貯留施設は東口周辺の浸水対策として整備が計画された。集水エリアは東口駅前広場から駅東側の宮益坂上交差点までと広範にわたり、雨水はマンホールや取水管から流入する。ドロップシャフトと呼ぶらせん状の水路があり、流入する水の勢いを弱められる。降水量に合わせた貯水が可能で、清掃範囲を限定させられる構造となっている。

 脱臭、換気設備を備える。工事は2011年2月に着手した。14年8月に掘削を終え、本体の構築を開始。周辺のビル開発の事業者や関係機関と工程を綿密に調整し、地上の交通広場や駅、歩行者デッキに影響が出ないよう慎重に作業を進めてきた。工事はバスや鉄道の運行しない夜間を主体に実施。東急の織茂宏彰渋谷開発事業部開発推進グループ都市基盤整備担当課長は「24時間の安全確保に努めた」と工事のポイントを説明した。

 渋谷駅は鉄道8路線が結節し、都内最大級のバスターミナルがある公共交通の拠点ながら、すり鉢状の地形のため雨水がたまりやすい。東京都下水道局の菅野建城計画調整部計画課水質改善事業推進専門課長は、「地下街の浸水対策に役立つ大規模な施設を街づくりと一体的に効率的に整備できた。豪雨への安全が高まった」と語った。区画整理の施行期間は10~26年度。周辺の大規模な再開発事業に併せて、完了した事業が一部ある。

2020年8月19日水曜日

【回転窓】驟(はし)り雨

  藤沢周平の小説に『驟(はし)り雨』というのがある。驟り雨は夕立のこと。さっと降ってさっとやむので、こんな表現を用いたのだろう▼夕立は暑い夏の午後、天地の色が一瞬にして陰り突如やってくる。数十分でやむので早雨や通り雨とも呼ばれる。肘で頭を覆い、雨をしのぐ人もいるので「肘傘雨」という呼び名もある。突然の雨も肘傘雨と言われると、どこか風情がある▼その夕立が最近、凶暴化している。呼び名もゲリラ豪雨などと言われ、稲妻とともに激しく地面をたたき付ける雨音は相次ぐ豪雨災害を連想させ、不安をかき立てる▼気象庁は夕立やゲリラ豪雨という表現を基本的に使わない。夕立は文学的な印象があり、受け止め側のイメージが異なるため、使わないそうだ。ゲリラ豪雨は局地的豪雨や局地的な大雨と言い、分かりやすい表現に代えているという▼藤沢の小説『驟り雨』では昼は真面目に働き、夜は盗賊となる主人公が、夕方雨宿りした場所で偶然会った人たちと触れ合い、盗賊をやめ改心する。驟り雨がそんな機会を与えたという話だ。短時間に数十ミリも降るゲリラ豪雨ではそんな人情話は生まれない。

【地域の守り手が奮闘】2020年7月豪雨、被災地で応急復旧進む

 地元建設会社の尽力で工期大幅短縮

仮復旧完了後の国道41号(提供:国交省中部整備局)
 2020年7月豪雨で延長約500メートルにわたって道路が流出した岐阜県の国道41号(下呂市小坂町門坂)の応急復旧工事が完了し、国土交通省中部地方整備局高山国道事務所は17日午前7時に通行止めを解除した。当面は片側相互通行での運用になる。応急復旧工事は高山市、飛騨市、下呂市の建設企業で組織する飛騨三協防災対策協議会の会員企業11社が総力を挙げ、24時間態勢で施工に当たった。

 大雨特別警報が発表された7月8日に飛騨川左岸の水衝部の道路が流出。高山国道事務所は同10日から応急復旧工事に入った。洗掘拡大防止を行い、河川に侵入するための工事用道路を整備。その後、約5200袋の大型コンクリート土のうを設置した。

 当初は8月31日の仮復旧を目標としていたが、▽国道41号と並行するJR高山本線の線路上を活用した被災状況の確認、復旧方法の検討▽河川内の施工ヤードを幅広く設置し、大型車両の対面通行を可能にしたことで復旧作業をスピードアップ-など、道路と鉄道、河川の関係者や地元建設企業が尽力したことで16日までに工事が完了、大幅な工期短縮につながった。

 高山国道事務所は今後、本復旧に向けた作業を進める。現在、地質調査と設計を進めており本年度中に工事に入る予定だ。

 赤岩地区の応急復旧完了

地元建設会社が24時間態勢で復旧工事に当たった(提供:国交省九州整備局)
 九州地方整備局大分河川国道事務所が応急復旧を進めていた国道210号赤岩地区(大分県日田市天瀬町赤岩)の工事が完了し、17日午前7時に片側交互通行で開通した。河川の流れを変え、8000個を超える袋詰め玉石や大型土のうを設置するなどの作業を24時間態勢で約40日かけて実施。今回の開通により県内の国道210号が全て通行できるようになった。

 赤岩地区では玖珠川のカーブの外側に当たる左岸側の国道210号で、激しい水流により洗掘され擁壁の基礎部分の土砂が流出。山側の沢からの流水も相まって、延長約100メートルにわたって道路が崩壊した。7月7日の早朝から同地区を含む延長約1キロを全面通行止めにしていた。

 応急復旧工事では河川内に搬入路を整備し、河川の流れを右岸側に変えるため河床を掘削して消波ブロックを設置。重機が稼働できる施工ヤードを整備した。その上で被災箇所の水位が上昇した高さまで約5200個の袋詰め玉石を設置し、さらにその上に約3000個の大型土のうを設置。仮の路盤を整備し舗装した。

 土のうは崩れないよう布製型枠で固定。今後の増水に備え、被災箇所の前面は消波ブロックで保護した。工事は同事務所の災害時協力業者の朝日工業(大分市)が担当した。通行止めの解除により、大きな被害を受けた地域の復旧の加速が期待される。

【WBJら4社が協定締結、開業は2023年】としまえん跡地に「メイキング・オブハリー・ポッター」

  ワーナーブラザースジャパンら4社は18日、月末で閉園する東京都練馬区の遊園地「としまえん」の跡地開発に向けた協定を結んだと発表した。同社による映画「ハリーポッター」シリーズのスタジオツアー施設を建設する。施設規模は平屋約3万平方メートルを想定。2023年前半の開業を目指す。

 協定を結んだのは▽ワーナーブラザースジャパン(施設運営者)▽西武鉄道(土地所有者)▽伊藤忠商事(施設建築者、設計者)▽芙蓉総合リース(施設所有予定者)-の4社。施工者は未定。

 施設名称は「ワーナーブラザーススタジオツアー東京-メイキング・オブハリー・ポッター」。ハリーポッターシリーズの映画撮影に使用したセットや小道具を展示するなど、映画の世界観が楽しめる施設になる予定だ。

 としまえん跡地は、都が計画する「(仮称)練馬城址公園」(約26・6ヘクタール)の整備区域に含まれる。都と区、西武鉄道、ワーナーブラザースジャパン、伊藤忠商事の5者は、公園整備の事業化に向け協力する覚書を6月に交わした。スタジオツアー施設の設置可能期間は運営開始から30年と設定した。

2020年8月18日火曜日

【回転窓】水車のようにたんたんと

  収束の兆しが見えない新型コロナウイルス。存在が世の中に認知され始めてから半年余りが経過したが、予断を許さない状況が続いている▼経済活動に与える影響は大きく、内閣府が17日に発表した2020年4~6月期の国内総生産(GDP、季節調整済み)速報値は、物価変動の影響を除いた実質で前期比7・8%減、年率換算で27・8%減に達した▼不安をあおっても仕方がないのだろうが、「一体いつになったら」と先行きを危惧する人も多かろう。こんな時こそこれからどうするのか、強いリーダーシップを発揮して展望を指し示してほしいと思うのだが、永田町の方々はそうした発想が希薄らしい▼夏季休暇を終えて昨日から仕事という人も少なくないはず。コロナ禍の不安は拭えないが、それでも生活の糧を得るには働く必要がある。この先どうなるのかと悲嘆に暮れても仕方がないので、せめて明るく前向きにと自らを奮い立たせている▼〈精出せば 凍る間もなし 水車(みずぐるま)〉(松木珪琳)。水の流れに沿ってたんたんと回り続ける水車。刻々と変化する情勢を捉え自分の務めを果たすのが大切なのだろう。

【48階建て延べ28万㎡規模を計画】新宿駅西口地区開発事業、環境アセス手続き開始

  小田急電鉄と東京メトロは、東京・新宿駅西側で計画する「(仮称)新宿駅西口地区開発事業」の環境影響評価(環境アセス)書案をまとめた。工事期間は2022年度から29年度までの7年(84カ月)を予定。計画地にある既存建物の小田急百貨店や新宿ミロードの解体・撤去を進めながら、2年目後半から新築工事に取り掛かる。地下躯体と地上躯体を並行して施工する逆打ち工法を採用する。

 17日に東京都庁などで環境アセス書案の縦覧を開始した。関連調査業務は日本設計が受託した。同社は開発事業の設計を担当している。

 計画地は東京都新宿区西新宿1の1。敷地面積は1万5720平方メートル。小田急百貨店などの商業施設に加え、小田急線新宿駅と東京メトロ丸ノ内線新宿駅の一部が含まれる。現状の敷地面積は1万4110平方メートルだが、都が施行する土地区画整理事業に伴う土地換地で敷地形状が広がる予定。小田急電鉄が所有する「新宿スバルビル」跡地が計画地北西側に換地される。

 新築建物はS一部SRC造地下5階地上48階塔屋1階建て延べ28万1700平方メートルの規模。最高高さは約260メートル。低層部に商業施設、業務機能を高層部に配置。中層部にイベントを開催できる空間やコワーキングスペースを設ける。計画地内の鉄道駅は従来の機能を維持し、開発事業に合わせた線路の敷設や改良は行わない。

 環境アセス書案に記載された工事工程表によると、1~5年目に既存建物(SRC・S造地下3階地上14階建て延べ12万平方メートル)の地上部を解体・撤去する。2年目後半から新築工事の準備・仮設工事に入り、既存建物の地下部の解体・撤去と新築建物の地上躯体工事に着手する。3年目に山留め工事と杭・構真柱工事を始め、4年目の終盤から地下躯体工事と仕上げ工事に取り掛かる。

 工事中は近接する鉄道の正常運行を確保しながらの施工が必要となる。駅構内など周辺の通路機能を保持するため、歩行者の安全に配慮した仮設・切り回しを工事進捗(しんちょく)に応じ段階的に進める計画。隣接する西口駅前広場などを対象とする土地区画整理事業とも調整を図る。

【畳敷きのスペースも用意!!】カシマサッカースタジアム、授乳室をリニューアル

  Jリーグ・鹿島アントラーズのホームスタジアムであるカシマサッカースタジアム(茨城県鹿嶋市)の授乳室がリニューアルされた。広さは約30㎡。哺乳瓶を使って授乳できる畳のスペースを用意し、父親も入室できる。

 リニューアルはLIXIL住宅研究所アイフルホームカンパニーが手掛けた。スタジアム2階のバックスタンド側に位置する。鹿島アントラーズはJリーグの他のチームと比べ女性の来場者が多いという。昨年は女性用トイレをリニューアルした。子育て世帯も利用しやすい環境を整えることで、観戦者層の拡大を狙う。

 おむつ替え台のほか母親専用の鍵付きの授乳ルームも二つ設置した。母親や父親が授乳している間に子どもが遊べるゾーンも確保。けが予防のため、壁に貼り付けるタイプのクッションを取り付けた。試合を観戦できるモニターも配備。子どもを遊ばせながら室内の畳やベンチに座って試合観戦できる。

2020年8月17日月曜日

【プロジェクトの細部、克明に】大成建設、新国立競技場の施工記録映像を公開

  大成建設は、JVで施工した新国立競技場の施工記録映像をホームページ(HP)などで公開した。2016年10月に開いた安全祈願から19年12月15日に行った竣工式までプロジェクトの歩みをまとめた。施工の工夫や安全への配慮、作業の様子を細かく紹介。巨大なスタジアムが完成するまでの克明な記録を発信している。

 動画のタイトルは「木と緑の『杜のスタジアム』-国立競技場建設の記録-」。再生時間は約30分に上る。山留め工事や基礎躯体工事、屋根工事などの様子を収録。上空からの俯瞰(ふかん)映像で建物全体が見られる。地上からの映像では現場の臨場感が味わえる。記者会見の様子も盛り込むなどプロジェクトの細部を知ることができる。HP以外に動画投稿サイト・ユーチューブでも視聴可能だ。

【可能な限り外観再現】JR東日本東京支社、原宿駅旧駅舎(東京都渋谷区)を建て替え

  JR東日本東京支社は東京都渋谷区にある山手線原宿駅の旧駅舎を建て替える。新駅舎が3月21日に供用したのに伴い、今月下旬から解体工事に着手する。

 防火規制をクリアする材料を用いた上で外観を可能な限り再現する。建て替えの範囲は敷地ベースで150平方メートル程度。内装を含めて施設の在り方を検討中で規模、設計者、施工者、完成時期は未定という。

 旧駅舎は、北欧に多い尖塔(せんとう)のあるハーフティンバー様式がデザインの特徴。にぎわい施設の整備と合わせて建て替えを進める。旧駅舎は今夏に予定された東京五輪の終了後に解体する予定だったが、大会の延期と防火上の安全性を考慮し、解体工事を早めることにした。

【スタジアム中心に複合施設を】SC相模原ら4者、相模補給敞返還地にスタジアム建設要望へ

 

スタジアムの完成イメージ(提供:SC相模原)
 サッカーJリーグのSC相模原ら相模原市を本拠地にするスポーツクラブ4者は、JR相模原駅前に広がる米軍基地(中央区、相模総合補給敞)の一部返還地に、スタジアムを核とする複合施設の整備を市に要望する。9月までには市に提案書を提出する予定だ。昨年12月に始めた整備を求める署名活動も再開し、年内には本村賢太郎市長に市民の声として届ける見通しだ。

 他の3チームはノジマ相模原ライズ(アメリカンフットボール)、三菱重工相模原ダイナボアーズ(ラグビー)、ノジマステラ神奈川相模原(女子サッカー)。4チームは相模原市のホームタウンチームとして、拠点となるホームスタジアムの建設を求めている。4チームはすべて国内トップレベルのリーグに所属している。このような都市は全国でも同市と神戸市だけという。

 4チームと市は昨年8月、スタジアム建設の可能性を検討する官民連携協議会を立ち上げた。当初、3月中に提案する予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響でずれ込んでいた。協議会は3月に解散しているが、引き続き4チームが連携して要望活動を続ける。

 整備候補地は相模原駅北口に隣接する一部返還地(約15ヘクタール)。ここに3競技のプレーが可能な1万5000席以上の大型スタジアム(敷地面積約3ヘクタール)と、商業、ホテル、コンベンション機能、福祉などの機能を盛り込んだ複合施設の整備を提案する。

 市は本年度中に市民や有識者の意見を聞き、来年度以降に同地区の導入機能をまとめて土地利用方針を策定する予定だ。4チームは9月までに提案書を提出し、年内には市民らから集めた署名も提出することで、スタジアムの必要性を強くアピールしたい考えだ。

 SC相模原の事務局は「整備費など資金面が最大の課題。4チームが市と連携しながら、実現を目指したい」と期待する。市の担当者は「市民からの要望が多ければ提案を無視することはできない。検討の対象になる可能性もある」と話している。

【凜】オンデザインパートナーズ・吉村梓さん

 ◇対話が導き出す答えに達成感◇

  入社4年目で公園やクラブハウスの設計を担当している。社外の案件に参加できる「自由研究制度」を利用し、美容室をシェアハウスへとリノベーションする企画にも挑戦する。

 大切にしているのは「自分が楽しみ、行動し、人の意見を受け止める」。現場の職人や街の人との対話から答えを導き出すことにやりがいを感じている。

 人に「魅力を伝える仕事」がしたいと思い、建築やデザインの世界に進もうと決意。大学と大学院で建築構法計画を専攻した。所属した研究室は建築家などを招聘(しょうへい)し、意見交換を重ねるなど自由なスタイルが特徴。「街や人と作品の関係性という視点から建築を眺められた」と振り返る。

 大学院在学中に応募した建築設計事務所のコンペで当選。休学してプロジェクトに取り組んだ後に復学した。「建築作品の格好よさ」に触れる中で作るだけでなく、「作品の使われ方にも踏み込みたい」という思いが募った。オンデザインパートナーズの「利用する人を巻き込んでいく姿勢」に共感し、入社を決めた。

 設計図面を作り込んでも実際、現場に立ってみると「何か違う」と思うことは多い。施主や職人と話し合いながら違いを埋めていくのはとても根気が要る。今は大変さが面白さに変わりつつある。「図面の線の一本一本がコミュニケーションツールだと感じられるようになった」と話す。

 (よしむら・あずさ)

【中堅世代】それぞれの建設業・263

無心で白球を追う瞬間は高校球児に戻る

 ◇野球部がつなぐ担い手のバトン◇

  首都圏にある電気設備工事会社で営業を担当する内田雄輔さん(仮名)。得意先や現場などを飛び回る多忙な日々を過ごしている。スーツで隠れていてもすぐに分かる骨太な体形と、冬でも変わらぬスポーツ刈りのスタイルがトレードマークだ。内田さんは高校時代、硬式野球部に所属していた。野球部は甲子園の常連校。全国制覇したこともある強豪校だった。

 高校卒業後に入社した今の会社は県内でもトップクラスの電気設備工事会社。社長は大の野球好きで、自らも高校、大学と硬式野球に打ち込んでいた。社内に野球チームがあり、毎年高校や大学から野球経験者を採用。内田さんも経歴を買われて入社した一人だ。

 野球をきっかけにした採用で、会社は野球部がある県内の高校や大学と太いパイプがある。新卒採用に苦戦する企業が多い中で、毎年コンスタントに人材が採用できるメリットは大きい。

 「自分たちは野球しかやってこなかったから、採用は非常にありがたいこと」と内田さん。目上の人との接し方など上下関係をたたき込まれた体育会系人材は、職人気質のベテラン技能者からも評価が高いという。工業大学の野球部出身者は技術職としても活躍している。

 「体育会系人材は根性がある」といったステレオタイプのレッテルを貼られがちだが、やはりと言うべきか「野球部からの採用組はほとんど中途退社していない」という。担い手確保に苦戦しながらやっと採用した若手社員が、あっさりと辞めていくケースは少なくない。「ゆとり世代はこらえ性がない」とこれまたステレオタイプの分析でお茶を濁しても、解決にはつながらない。

 野球が取り持つ縁を生かした人材確保。今でこそ定着したが、最初は手探りだったという。「高校は普通科。野球漬けの毎日で建設業を目指していたわけでもない」という若者にとって、建設会社での仕事は決して容易ではない。内田さんも駆け出しの頃は苦労の連続だった。

 持ち前の折れない心と試行錯誤で取引先との信頼関係を築く日々。取引先では野球が鉄板の話題で、親しくなるきっかけとしてもってこいの武器になった。今は中間管理職として部下や後輩を引っ張る役割を担っている。

 実業団野球が華やかだったころ、大手ゼネコンも野球部を持ち、多くのプロ野球選手を輩出してきた。ノンプロの選手は退部が退職に直結する。野球経験者を社員として迎え、長く働いてもらいたいという同社の考えとは異なる。

 会社の野球チームは「同好会みたいなもの」と話す。だがハイレベルな経験者をそろえたチームは決して弱くない。業界団体の大会で優勝した経験もある。「大会での活躍が会社のPRになるのならうれしい」と内田さん。「そろそろ練習がキツくなってきた」と嘆きつつ、「40歳を過ぎても、身体が動く限りは野球を続けたい」と心は球児のままだ。

【やっぱり!マイ・ユニホーム!!】中部土木「愛着と誇りを持てるデザインに」

  「皆がプライドを持って着られる」ことなどをコンセプトに一新したユニホームのデザインは、社内アンケートの結果を基に決まった。2017年10月の着用開始から3年目を迎え、デザインの格好良さに引かれて入社を希望した社員もいるという。

 新ユニホームは、前面と背面に組み込んだ反射材で安全性を高めている。青と緑の配色という他社にはない色使いも特徴だ。背面に入れた会社のロゴで視認性を高め、地域の方々に覚えてもらいやすいデザインとした。夏用、冬用でカラーと模様を統一。現場に入っている社員がどこにいるのかひと目で分かるという。

 ポケットの数を多くする、内ポケットをタブレット端末が入るサイズにするなど使いやすさに気を配っている。上着の右腕部に社員の名前を刺繍し、ユニホームが管理しやすいようにしている。

 社内の作業着ワーキンググループには「皆が愛着を持っている」「発注者や地域住民の方々からの評判も良い」「中部土木の社員として恥ずかしくない行動を意識するようになった」「機能性にも優れているのが良い」といった声が寄せられ、社員の評判も上々だ。

【駆け出しのころ】IHIインフラ建設取締役橋梁事業部長・笠坊英彰氏

  ◇粘り強く最後までやりきる◇

 小学生の頃、今では考えられませんが、新聞記者だった父の勤務先はどんなところだろうと夕刻に訪問し、2人で東京から横浜の自宅まで帰ることが度々ありました。車で高速道路を通るたびに、深夜にもかかわらず都心部や工場地帯を高架橋で縦横無尽に行き交うことができる道路網に感動し、同じようなものを自分も造ってみたいと思ったのが、建設に興味を持ったきっかけでした。

 就職活動の時期が造船不況と重なり、大手重工メーカーで唯一求人のあった川崎重工業の試験を受けて入社。技術開発部で明石海峡大橋の主塔の空力的制振試験を担当しました。その後、ものづくりの世界を肌で感じたいとの思いから3年目で退社を決断。採用活動をしていた石川島播磨重工業(現IHI)に縁あって入ることができました。

 新天地では横浜の橋梁事業部設計部に配属され、高速道路の詳細設計を主に担当しました。分からないことだらけで基本は「自分で考えろ」の職人かたぎの世界でした。さらに、IHIには「設計に始まり、設計に終わる」という言葉があります。ものづくりに必要な製品、据え付けのスペック決めの要を担い、調達業務の帳票発行部門として責任が課せられます。製造部、建設部とも深く連携して問題を解決することが常態化し、業務は過酷でしたが、こうした取り組みが自身のエンジニアリングの基礎になったと思っています。

 壁にぶつかった時は誰かが決断して前に進まなければなりません。設計部門がかじ取り役を担っているのであれば、責任を持って最後までやり抜くしかない。決断のよりどころは経験、統計、実験も含めた数値であり、定性的な考え方を定量的に捉えることが重要です。厳しい環境下で、理論武装しながら自ら決断し解決することの大切さを学びました。

 業務が重なって大変な時期に、上司から掛けられた「落ち着きなさい。やるべきことが見えているなら、その仕事はいつか終わる」の一言。あれもこれもやらなければとパニックになっていた時、この言葉を思い出すと不思議と安心できました。

 関わってきた仕事は常に、都市がキーワードでした。ビルが林立し大型重機が使えない狭い場所で、いかに工事を進めるか。都心部は難工事が多く、2013年度の土木学会田中賞を受賞した首都高速八重洲線汐留高架橋の架け替え工事は達成感がありました。

 大変なことを好きな人はいないと思いますが、最後には山を登り切ったような「すがすがしさ」が得られます。トラブルや苦しさを乗り越え、完遂した経験は財産になります。

 粘り強く、最後までやりきる。苦しい時も可能性を信じて前に進む。若い人たちには受け身にならず、ポテンシャルに制限を掛けずに最後まで自分の意志を貫いてほしいです。

30代半ばころ、JV現場事務所の開所式で(左端が本人)
 (かさぼう・ひであき)1987年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻修了、川崎重工業入社。90年にIHI入社。IHIインフラシステム理事都市高速部長などを経て、2014年6月から現職。神奈川県出身、59歳。

2020年8月7日金曜日

【技能者育成で新たな試み】清水建設、清水匠技塾(千葉県船橋市)の運用開始

  清水建設は、千葉県船橋市に開設した教育訓練施設「清水匠技塾」の運用を7月27日に開始した。協力会組織・兼喜会の会員企業で働く技能労働者を中心に研修を実施していく。年間で950人の施設利用者を見込む。3億円を投資した。

 清水匠技塾の所在地は潮見町37の2。1650平方メートルの敷地に作業訓練棟(S造平屋720平方メートル)と教育棟(S造2階建て延べ290平方メートル)を整備した。作業訓練棟は研修用機材を配置し、多能工養成訓練や自動搬送ロボットのオペレーター育成などを行う。巻き付け耐火被覆材やボード、ALC(軽量気泡コンクリート)板など内装工種を中心にした教育カリキュラムを設けている。

 教室棟では新規入職者研修やCAD、BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)の講習を行う。酸欠硫化水素危険作業や足場組み立て作業、高所作業車操縦などの資格取得に向けた特別教育講習も設けた。

 受講者の研修中の給与や講師への報酬は清水建設が負担。協力会社が施設を利用しやすくした。外国人材の受け入れを視野に入れ教育カリキュラムも検討するという。

【学生がシェアハウスプラン提案】日本工学院、老舗料亭リノベ―ション始動

  日本工学院八王子専門学校が東京都八王子市にある老舗料亭の一部を学生向けのシェアハウスにリノベーションするプロジェクトを始めた。

 不動産事業を展開する住宅工営(東京都八王子市、齋藤祥文代表取締役)らと連携。料亭が入るビルの4~6階を利用し、共用スペースと居住スペースを整備する計画。同校の学生からプランを募り9月中旬に最優秀を決める。2021年3月末の入居開始を目指す。

 創業87年の歴史を持つ料亭「なか安」(同、宮崎昌久代表取締役)の協力を得て、料亭が入居するビルにシェアハウスを整備する。同校の建築学科の学生56人が参加。「自分も住みたくなる人気のシェアハウス」をテーマに設定し、イラストや建築模型を作製してもらう。

 既に現地調査を実施済みで、21年1月の完成を目指す。同校は「居住スペースのデザインという身近な建築物の提案は、実践でしか学べない貴重な経験」とコメント。学生ならではの発想を期待している。


2020年8月6日木曜日

【回転窓】花火と希望の光

 夏の風物詩である花火。今年はコロナ禍により、全国各地の花火大会も大半が中止・延期となっているようだ。密閉ではない屋外のイベントだが、多くの人たちで混雑し密集・密接になるため、感染リスクが懸念される▼毎年秋に茨城県土浦市で開かれてきた「土浦全国花火競技大会」の中止もこのほど決定。秋田県大仙市の「全国花火競技大会(大曲の花火)」、新潟県長岡市の「長岡まつり大花火大会」と合わせ、日本三大花火大会の年内の開催がすべて見送られた▼日本で花火大会が広まったのは江戸時代と言われる。飢饉(ききん)や疫病が流行し、各地で多くの死者が発生。社会が暗たんとする中、8代将軍・徳川吉宗が水神祭で花火を打ち上げ、死者の慰霊と悪疫退散を祈願した。現在に続く隅田川花火大会のルーツとされる▼例年のような花火大会ではなく、事前の会場告示をせず、規模を縮小した花火の打ち上げが各地で相次ぐ。そこには新型コロナの事態収束と人々が少しでも元気になるようにとの思いが込められている▼いつもの夏の風景は一変したが、暗い気持ちを明るく照らす、希望の光は持ち続けよう。

【北陸新幹線金沢~敦賀区間、全12トンネルが貫通】北陸新幹線深山トンネル(福井県敦賀市)、三井住友建設JVで貫通

貫通し切羽から光が差し込んだ深山トンネル
(提供:鉄道・運輸機構)
 鉄道建設・運輸施設整備支援機構大阪支社が2023年春の開業を目指す北陸新幹線金沢~敦賀間の一部を形成する深山トンネル(福井県敦賀市、延長768m)が3日午前、貫通した。これで同区間に建設される12本のトンネルがすべて貫通。工事関係者らによる式典も行われ、鏡開きなどで貫通を祝った。施工を三井住友建設・極東興和・道端組JVが担当。

 深山トンネルは敦賀駅から金沢方約2kmに位置する。ラムサール条約湿地に登録された中池見湿地付近を通過するため、ルート変更を行うとともに、地下水への影響に配慮した構造を検討。トンネル内に地下水を引き込まないよう全周を防水シートで覆う非排水構造とし、断面も通常の馬てい形ではなく、高水圧に耐えられる円形に変更した。19年1月から掘削工事を進めてきた。

【国内最大水深の18m】横浜港南本牧ふ頭MC4ターミナル、8月7日に暫定供用

 関東地方整備局が整備していた「横浜港南本牧ふ頭MC4コンテナターミナル」(横浜市中区)が7日に暫定供用を開始する。

 隣接するMC3ターミナルと合わせて延長約900メートルの高規格ターミナルとして運用する。岸壁は国内最大水深となる約18メートル。大型コンテナ船の接岸が可能で物流機能強化の一翼を担う。

 建設地は南本牧(総面積約22.5ヘクタール)で、MC4ターミナル単体の延長は約500メートル。20フィートコンテナを約1万2000個まで取り扱うことができ、世界最大級の規模となる。貨物を積み下ろすコンテナクレーンは3基整備する予定で1基が完成している。全体施設の完成は2021年春ごろを予定。引き続き管理棟の整備などに取り組む。

【名誉館長に中田英寿氏】金沢市移転の国立工芸館、10月25日に一般公開

 文化庁は金沢市に移転する東京国立近代美術館工芸館(東京都千代田区)の開館記念式典を10月24日に行い、同25日から一般公開すると4日に発表した。

 名誉館長に元サッカー日本代表の中田英寿氏が就任する。日本で唯一の工芸を専門とする国立美術館の分館として新たなスタートを切る。

 移転先は金沢市出羽町3の2にある兼六園周辺文化の森地内。陶磁やガラス、漆工、木工・竹工、金工、染織など、近現代の工芸分野のコレクション約3800点のうち、約1900点を金沢の工芸館に移す予定。展覧会や作品の収集・保存などを通して、工芸文化を発信していく。

 建物は明治期に金沢市内に建てられた二つの旧陸軍施設を移築・改修した。過去に撤去された部分や建築当時の外観の色などを復元して活用。展示室部分はRC造で復元・新設した。開館時間は午前9時30分~午後5時30分(月曜休館、臨時休館あり)。当初は7月に開館する方針だったが、コロナ禍の影響で延期していた。

2020年8月4日火曜日

【回転窓】思い出への気配りもぜひ

高校生の頃、おいしいと地元で評判だったカレー店に足しげく通っていた。週に1度は食べに行っていたのだが、頼んでいたのは決まって野菜たっぷりのカレー。しびれる辛さのカシミールに挑戦する勇気はなかった▼社会人になって「久々に行ってみるか」と思い立ってカレー店に足を向けると、再開発で店舗はおろかエリア全体がすっかり様変わりしていた。カレーが食べられなかったのは残念だったのだが、それ以上に若き日の思い出が失われてしまったようで少し寂しい気持ちになった▼街の姿を一変させる再開発。大規模案件であれば数千億円のお金が動く。超高層のビルにマンション、商業施設やきれいに整えられた緑地などさまざまな事業が展開され、プロジェクトを動かすために多くの人が努力を積み重ねる▼再開発とは少し違うのかもしれないが、国土交通省は先月末、街づくりに先端技術を駆使する「スマートシティー」のモデル事業に東京都大田区や兵庫県加古川市など新たに7地域を選定した▼どんな街になるのか楽しみだけれども、懐かしい姿が感じられる気配りもぜひと思うのはわがままな注文か。

【国登録有形文化財をリニューアル】藤田観光、三河屋旅館(神奈川県箱根町)を取得・改修

 藤田観光は神奈川県箱根町にある老舗旅館「三河屋旅館」を取得、10月2日に「箱根小涌園 三河屋旅館」として開業する。改修工事で快適性を高める。

 設計、施工者は明らかにしていない。同社が運営する複合リゾート施設「箱根小涌園」の再開発の一環として、他の既存施設の建て替えや改修と合わせ集客力向上につなげる。

 三河屋旅館は1883年創業で、建物は1918年に建てられた。国登録有形文化財「松竹館」が本館。改修工事では外観を損なわない建材を使い、防音処理や断熱対策を施す。客室は全室をベッドスタイルに変更。高齢者や外国人も利用しやすい施設にする。客室数は25。ラウンジやダイニング、大浴場などがある。

 「箱根小涌園」再開発は初弾として2017年4月に「箱根小涌園 天悠」が開業した。プロジェクトでは老朽化で18年に営業を終了した「箱根ホテル小涌園」跡地に新ホテルを建設し、温泉テーマパーク「ユネッサン」もリニューアル工事に入っている。15年には三河屋旅館の隣接する庭園「蓬莱園」も取得していた。

【超高層ビルの足下に巨大ガラス屋根】新宿住友ビル大規模改修(東京都新宿区)

 ◇国内最大級の全天候型アトリウム誕生◇

 住友不動産が進めていた東京・西新宿の「新宿住友ビル」の大規模改修工事が6月に完了し、超高層ビルの足元に巨大なガラス屋根で覆われた広場が誕生した。西新宿に活気をもたらすためにおよそ20年間構想を練り上げ大規模改修を実行。ビルの完成からおよそ半世紀を迎えた通称「三角ビル」が、装いも新たに生まれ変わった。

 「建て替えはまったく考えていなかった」。住友不の宮川享之ビル事業本部新宿事業所長はビルへの思い入れをこう話す。大切にしたのは、既存のビルへの「リスペクト」。先人たちの努力の結晶であるビルの趣をそのままに、「別のビルに間違えられるような」事業を目指した。

 新宿住友ビルは1974年に竣工した。完成当時は国内最高の高さ211メートルを誇り、三角形の屋根が特徴的な西新宿を象徴するビルとして注目された。91年に東京都庁が開庁すると西新宿エリアはオフィス街として変貌を遂げた。一方で商業施設が集積しにぎわう新宿駅東側とは対照的に、週末になると「静かな街並み」(宮川所長)が広がっていた。

 西新宿を活性化させるため、住友不が企画したのが全天候型アトリウムだった。一般的な公開空地と同様明るく開放的で、天候に左右されることなく人が集える空間の整備を計画した。

 設計に携わった日建設計の芦田智之執行役員設計部門グループマネージャーアーキテクトは、「なかなかプロジェクトが進まなかった」と語る。かつては外の空間とつながっている「物理的開放性」を持つのが公開空地という概念があり、アトリウムを実現する法令が整っていなかった。

 屋根だけ架けて外気を取り入れるといったさまざまな案を提示するものの、芦田執行役員は「住友不は決して『うん』とは言わなかった」と振り返る。何回もやりとりを繰り返すうち、「無理かなとも思った」と当時の心情を吐露する。

 議論が暗礁に乗り上げる中、社会情勢が変化し「住友不のゴールに近づいてきた」(芦田執行役員)。東日本大震災などを機に、災害時の避難機能を公開空地に求める動きが強まった。屋内アトリウムは雨や風をしのぐことができる。整備に向けた道筋が見えてきた瞬間だった。

 法改正で既存不適格となった建物の段階的な改善を認める「全体計画認定制度」の制定も追い風となった。通常、竣工時にすべて不適格部分を改善しなければならないが、同制度によって事業計画の検討の幅が広がった。

 施工を手掛けた大成建設も加わって議論を交わし、一つ一つ課題をクリアしていった。2016年12月に国家戦略特別区域、17年8月には民間都市再生事業計画の認定を受け、事業は具体化に向け一気に前進。同9月に着工を迎えた。

 工事を指揮した大成建設の山田繁満作業所長は「ビルの利用者への配慮」を苦労した点に挙げる。アトリウムの新築にとどまらず、既存建物の解体や改修も実施した。1日約1万人が行き交うビルで、騒音や粉じんの発生に気を配るのは「相当大変だった」と語る。

 アトリウムで使用したガラスは延べ約1万平方メートル、計5288枚に上った。ガラスのサイズや傾斜がそれぞれ異なるため、一つ一つ慎重に取り付けを進めた。内装の改修の中には、工事期間中にテナントの移転が必要になったケースがあり、「テナントの協力なくして、完成できなかった」と山田所長は謝意を示す。

プロジェクトに関わった(左から)山田所長、宮川所長、芦田執行役員
工事最盛期には昼夜で2000人が工事作業に当たった。協力会社らとの信頼関係の構築のため「冗談を交えながら、現場で積極的にコミュニケーションを重ねた」という。一方、朝礼での連絡事項は緊張の糸が切れないよう「簡潔に分かりやすく伝える」ことを心掛けた。入念な工事の進捗(しんちょく)状況の確認のため、関係者とのミーティングは、1週間当たり最大20回以上に及んだ。

 7月1日に開業した三角広場は、約2000人を収容する国内最大級の全天候型イベント空間となった。制振補強によってビルの耐震性能が向上。地下のホールを拡充させ、商業エリアも改装で一新した。

 「住友不動産を代表するビル。みんなが愛している」と宮川所長はビルへの思い入れを話す。「100年に向けた折り返し地点で、第2の竣工を迎えられた」と喜びを語る。

 《工事概要》

 【工事場所】      東京都新宿区西新宿2の6の1
 
 【基本構想・総合監修】 住友不動産

 【設計・監理】     日建設計、大成建設

 【施工者】       大成建設

 【工期】        2017年9月30日~20年6月30日

 【規模】        地下4階地上54階塔屋3階建て延べ18万0195㎡

2020年8月3日月曜日

【回転窓】誰も経験したことのない夏

8月に入り夏本番。気象庁が先月29日に発表した今夏の高温情報によると、西日本では5日ごろにかけて最高気温が35度以上の猛暑日になると予想。気温が非常に高い状態が続くため、熱中症などに注意し健康管理を徹底するよう呼び掛けている▼今年の夏は感染症と熱中症の予防をどう両立するかが問われる。高温多湿の環境でマスクを着用すれば熱中症のリスクが高まる。こまめな水分補給を心掛け、周囲の人と十分に距離がとれる場合はマスクを一時的に外し休憩することが推奨されている▼熱中症予防にはエアコンの活用が有効だが、家庭用エアコンで換気機能を備えている機種は限られている。感染症対策には冷房時でも窓を開けたり換気扇を使ったりして換気する必要があるそうだ▼この場合、室内温度が高くなりエアコンの温度設定を下げることになるが、薄着になってすだれや緑のカーテンで日差しを遮るなど、一つでも二つでも行動や工夫するのが大切という▼マスク着用や3密(密閉・密集・密接)回避といった「新しい生活様式」が求められている。誰も経験のない夏として、例年以上に備えを徹底したい。

【2022年着工へ準備着々】長崎スタジアムシティ計画、CM業務は三菱地所設計に

ジャパネットホールディングス(HD)の事業会社、リージョナルクリエーション長崎(長崎市)は「長崎スタジアムシティプロジェクト」のCM(コンストラクションマネジメント)業務の委託先を決める指名プロポーザルで、受託者を三菱地所設計に決めた。

 サッカースタジアムやホテルなどの複合開発プロジェクトで、三菱地所設計は発注者支援業務を担う。2022年の着工、24年の完成を予定する。

 三菱地所設計がマスタースケジュールの作成や基本設計に関連したマネジメントを行う。発注図書のとりまとめなども実施し、街の新たな拠点整備に技術力で支援する。業務の履行期間は7月~21年2月。

 長崎スタジアムシティプロジェクトは、三菱重工業長崎造船所幸町工場跡地(長崎市幸町、敷地面積6万8746平方メートル)を活用する。サッカーJリーグのV・ファーレン長崎のホームスタジアムなどを建設する。

 施設規模はスタジアムが2万~2・3万席、アリーナ5000席を想定。入居するホテルは300~350室、オフィスと商業施設はそれぞれ延べ約2万平方メートルを見込む。総事業費は約700億円。基本設計は環境デザイン研究所・安井建築設計事務所JVが担当。年内に完了する予定だ。

【凜】村本建設設計部構造担当係長・森下智代さん


 ◇頼られ、目標にされる存在に◇

 入社して12年、建築物の構造設計をずっと担当してきた。「意匠設計に比べて華やかさはないけれど、建物の骨格部分を決める重要な仕事」とやりがいと誇りを感じている。

 小学生の時に阪神淡路大震災が発生した。テレビや新聞で報じられた建物の倒壊現場。惨状を目の当たりにして「地震に強い構造の建物をつくりたい」という思いが募った。大学で建築を学び「構造設計に携わるには現場を知ることも大切」と考えゼネコンを志望。面接の時に感じた「和気あいあいとした家族のような雰囲気」が気に入り、村本建設を就職先に選んだ。

 入社以来心掛けてきたのは「何事にもまじめに全力を尽くす」こと。右も左も分からずくじけそうな時もあったが、とにかく前を向くように意識した。

 これまで大学やマンション、事務所など数々の建築物を担当した。建物の種類や形態、用途、目的によって構造が違う。キャリアを積んだ今も「コストを意識しつつ、最適な工法や構造計画を選ぶ幅広い知識が求められる」と勉強を欠かさない。

 ひたむきな努力と自分の信念を貫き通す姿が評価され、頼りにされるリーダー的存在になった。それでも本人は「まだまだ一人前ではない」といたって謙虚。「人間的にも技術者としてもさらに磨きを掛け、目標にされる存在になる」ことをこれからも目指していく。

 (もりした・ともよ)

【中堅世代】それぞれの建設業・262

社会人になっても学ぶ機会ははくさんある

 ◇変化を受け入れ「学び」続ける◇

 大学で建築を学んでいた北原奈々子さん(仮称)が就職活動を始めた2000年の秋は、就職氷河期の真っただ中だった。思うように就職先が決まらない同級生も多かったが、幸いにも志望した照明デザインの事務所に就職が決まった。入社から2年がたったころ、「仕事内容のミスマッチではなく、やりたいことの幅が広がってきた」と転職を決意した。

 店舗を中心に内装の設計・施工を手掛ける会社に入社した。制作職として主に飲食店の新装・改装工事の施工管理に従事することになった。前職の経験が全く通用しないとまでは言わないが、現場の経験値はほぼゼロ。職人と十分に会話ができず失敗したことも多く、自身の経験や知識のなさを痛感した。そこで知識の習得を目的に2級建築士の資格取得を入社1年目の目標に掲げた。

 大学時代を振り返ると特に優れた成績だったわけでもなく、秀でた能力を発揮していたわけでもない。学業の傍らサークル活動やアルバイトに励むなど、一般的なキャンパスライフを過ごしてきた。「目標に向かって学ぶのは大学入試以来だったかも。学ぶこと事態が新鮮で楽しかった」。1回目の受験で無事に合格できた。

 施工管理の業務も3年が過ぎたころ、現場を見る視野が広がってきたと実感。1時間、現場を確認して回った時、収集できる情報量が1年目よりも2年目、2年目よりも3年目と着実に増えていた。そんな時に営業職への異動を命じられ、店舗改装のPM(プロジェクトマネジメント)業務に携わることになった。

 設計者や施工者、サプライヤー、行政機関などとの調整や、プロジェクトを引っ張っていくため、さらなる知識が必要と感じ、職種転換をきっかけに1級建築士の資格を取得した。顧客の経営者や事業担当者などと話す機会が増えてくると、空間づくりは素材や形状などのデザイン以上に、投資でリターンが得られるという経営者、事業者の視点が重要と気付かされた。

 「顧客と同じ目線に立って、空間づくりを軸に課題解決が提案できるようになりたい」と一念発起。経営を学ぶため専門職大学院に入学し、社会人と学生の二重生活を経てMBA(経営学修士)を修了した。

 店舗や施設などのメンテナンスを専門とする部署の立ち上げに参画する機会を得た。現在はこのメンテナンス部門の管理職として、中長期の事業戦略や業務改善計画などの策定に携わっている。さらに関連会社の非常勤取締役を兼任し、経営的な観点でのマネジメントも担うことになった。

 時代と共にトレンドやテクノロジーなどは目まぐるしく変わる。自分自身も年を重ね役割や立場も変化する。「その変化にあらがわず、変化を受け入れ、必要に応じた学びによって進化していく」と自身のキャリアを振り返る。今後も継続的に「学び」を大切にしていく。

【やっぱり!マイユニホーム!!】三井住建道路「バイカラーで爽やかに」

 17年ぶりにユニホームを刷新した。製作は大手総合スポーツ用品メーカーのミズノが担当。ミズノ独自の裁断パターンなどを採用することで動きやすさをアップ。働き方改革の一環として就業環境の向上につなげる。

 配色はこれまでのグレー一色からグレーとネイビーのバイカラーに変更。爽やかな印象に生まれ変わった。

 リニューアルしたのはブルゾンとパンツ、シャツ。ブルゾンとパンツは夏用と冬用を用意した。現場での動きやすさを第一に、スポーツウエアで実績のある裁断パターン「ダイナモーションフィット」を採用。手を上げたり、しゃがんだりする動作でもウエアがつっぱらず、疲労感が軽減するという。シャツの背中に反射材を取り付け夜間作業の安全確保に気を配った。

 アスファルトで汚れやすいパンツ、襟元や袖口に濃色のネイビーが入る。アスファルトなどの汚れが付いても目立ちにくいよう工夫した。

 関東支店東京営業所の岩谷良太副所長は「爽やかな配色で、周囲の人たちに与える印象も大きく変わった。着用する社員も、より『着てみたい』と思える作業着になったのでは」と話している。

【駆け出しのころ】三建設備工業取締役専務執行役員・尾崎正道氏

 ◇真っ直ぐ向き合い、何事も正攻法で◇

 最初に配属された現場はよく覚えています。入社2年目の春のことで、都内にある国立大学の研究所改修工事でした。当社単独の施工で、私を含め社員3人が担当しました。

 大学で機械工学を学びましたが、配管やダクトなど設備工事の知識はありません。入社後に行われた新人研修や技術本部での設計・積算業務などで基礎的な技術は教わりましたが、現場はまた別のものです。毎日、先輩に「あれを調べてこい、これを測ってこい」と言われるがまま無我夢中で働いていました。夜中まで天井裏をはいずり回って作業したこともあります。若くて体力だけはあったので、職人さんと一緒に材料を運ぶことも。そのうち、職人さんにかわいがられ、いろいろなことを教わりました。

 例えば鉛管の置き方。今はほとんど使われていませんが、鉛管は柔らかく、横に置くと自重でつぶれる。そのため、必ず立てて置くようにと。給気と排気でダクトのフランジボルトの締める向きが違うと言う話も聞きました。技術書には書かれていないことばかりで、今も職人さんから聞いた話は忘れられません。

 二つ目の現場は都内の事務所ビル新築工事。初めてゼネコンや電気工事会社などの方々と一緒に仕事しました。設備工事は分離発注でしたが、ゼネコンや電気工事会社の方々との接し方などを学びました。この現場ではゼネコンや電気工事会社で同世代の方がいて、仕事だけでなくマージャンなどもよく一緒にやりました。その時、電気工事会社で現場代理人をされた方とは今でもお付き合いがあります。

 現場代理人を初めて務めたのは27歳の時。小さな現場を二つ担当し、うち一つは倉庫の工事現場でした。元請会社の設備担当者の方からスプリンクラー設備と鉄骨・もやを一体化したユニットで施工しようと提案がありました。今はフロアユニット工法などがありますが、当時では画期的で準備が大変でした。建築担当の方の理解もあり、何とかできました。本当に良い勉強になりました。

 振り返ってみると、外部の方々にいろいろなことを教えて頂き、助けてもらって今があるのだと思います。職種や立場は違っていても、良いものを作るという意識は同じで、多分私だけでは心配だから、周囲の方々が優しく接してくださったのかもしれません。

 建設業界はいま、働き方改革を進めています。ですが、お客さまに良いものを提供しようという責任は今も昔も変わりません。やり方自体は変わるかもしれませんが、その責任は常に持ち続けなければなりません。若い設備技術者には何事も正攻法で攻めてほしい。われわれの責任を果たすのに近道はありません。一つ一つの課題に真っすぐ向き合っていってほしいと思います。

若いころから人との出会いを大切にしてきた
(安全統括兼エンジニアリング担当兼生産性向上担当、おざき・まさみち)1978年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科卒、三建設備工業入社。執行役員北海道支店長、常務執行役員東京支店長、取締役専務執行役員首都圏統括兼工事監理本部長兼安全統括などを経て現職。北海道出身、65歳。