2020年8月3日月曜日

【駆け出しのころ】三建設備工業取締役専務執行役員・尾崎正道氏

 ◇真っ直ぐ向き合い、何事も正攻法で◇

 最初に配属された現場はよく覚えています。入社2年目の春のことで、都内にある国立大学の研究所改修工事でした。当社単独の施工で、私を含め社員3人が担当しました。

 大学で機械工学を学びましたが、配管やダクトなど設備工事の知識はありません。入社後に行われた新人研修や技術本部での設計・積算業務などで基礎的な技術は教わりましたが、現場はまた別のものです。毎日、先輩に「あれを調べてこい、これを測ってこい」と言われるがまま無我夢中で働いていました。夜中まで天井裏をはいずり回って作業したこともあります。若くて体力だけはあったので、職人さんと一緒に材料を運ぶことも。そのうち、職人さんにかわいがられ、いろいろなことを教わりました。

 例えば鉛管の置き方。今はほとんど使われていませんが、鉛管は柔らかく、横に置くと自重でつぶれる。そのため、必ず立てて置くようにと。給気と排気でダクトのフランジボルトの締める向きが違うと言う話も聞きました。技術書には書かれていないことばかりで、今も職人さんから聞いた話は忘れられません。

 二つ目の現場は都内の事務所ビル新築工事。初めてゼネコンや電気工事会社などの方々と一緒に仕事しました。設備工事は分離発注でしたが、ゼネコンや電気工事会社の方々との接し方などを学びました。この現場ではゼネコンや電気工事会社で同世代の方がいて、仕事だけでなくマージャンなどもよく一緒にやりました。その時、電気工事会社で現場代理人をされた方とは今でもお付き合いがあります。

 現場代理人を初めて務めたのは27歳の時。小さな現場を二つ担当し、うち一つは倉庫の工事現場でした。元請会社の設備担当者の方からスプリンクラー設備と鉄骨・もやを一体化したユニットで施工しようと提案がありました。今はフロアユニット工法などがありますが、当時では画期的で準備が大変でした。建築担当の方の理解もあり、何とかできました。本当に良い勉強になりました。

 振り返ってみると、外部の方々にいろいろなことを教えて頂き、助けてもらって今があるのだと思います。職種や立場は違っていても、良いものを作るという意識は同じで、多分私だけでは心配だから、周囲の方々が優しく接してくださったのかもしれません。

 建設業界はいま、働き方改革を進めています。ですが、お客さまに良いものを提供しようという責任は今も昔も変わりません。やり方自体は変わるかもしれませんが、その責任は常に持ち続けなければなりません。若い設備技術者には何事も正攻法で攻めてほしい。われわれの責任を果たすのに近道はありません。一つ一つの課題に真っすぐ向き合っていってほしいと思います。

若いころから人との出会いを大切にしてきた
(安全統括兼エンジニアリング担当兼生産性向上担当、おざき・まさみち)1978年武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部機械工学科卒、三建設備工業入社。執行役員北海道支店長、常務執行役員東京支店長、取締役専務執行役員首都圏統括兼工事監理本部長兼安全統括などを経て現職。北海道出身、65歳。

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