2020年10月26日月曜日

【駆け出しのころ】長谷工コーポレーション常務執行役員・三森国吉氏

 ◇ものづくりの意志つなぐ◇

 船舶の設計技師だった祖父の影響もあり、子供のころから設計図に興味がありました。大学の先生の勧めもあり、長谷川工務店(現長谷工コーポレーション)に入社。設計部門で働きたい思いはありましたが、当時は技術系の新人はみな現場勤務からのスタートでした。

 1年目は埼玉県川口市のマンション現場に配属。先輩たちも恐れるほどの厳しい所長の下、目配りや気配り、精神面の強さなど、現場技術者としての心構えをたたき込まれました。

 仕事では「みんなに気持ち良く仕事がしてもらえるよう、前日にしっかりと準備することが役目だ」と言われ、段取りの大切さを諭されました。現場の工程表も後ろから逆算で立てるよう指導され、各工程のポイントに合わせて効率良く作業を組み立てることを学びました。

 仮設足場が外れ、完成した建物が姿を現した時は感動の一言。設計ではなく施工一筋でいこうと決意したのを覚えています。

 2年目に担当した東京都内の現場では、料理好きの所長が残業する社員に夜食をよく作ってくれました。いつの間にか所長や作業所員たちの昼食を先輩2人と交代で作ることになりました。おかずの調理に加え、毎日の米炊きと食器洗いも一番若い自分の担当。包丁の扱い方もよく分からず、母親に料理のレシピを教わりながら調理を続けました。

 正直、現場業務と関係ない雑務に嫌気がさし、会社を辞めようかとも思いましたが、周囲の支えもあり頑張ることができました。結果的に忍耐力が付き、1年目とは違う面で勉強になりました。

 顧客のアフタークレームを含め関連情報を頭に入れ、施工図に反映したり、手描きの重ね図で不整合な箇所を確認したりなど、より良いものを造るために試行錯誤の毎日。5年目ごろには職人からの質問に即答できるようになり、技術者として自信が付いてきました。

 25年の現場勤務で計3800戸の分譲マンションを建設しました。最後の現場になった地元東京・南千住の再開発案件は特別です。実家が開発区域に含まれ不思議な縁を感じながら施工に当たりました。完成後にそのマンションを購入し今も住んでいます。

 施工中の現場に中学生の息子を連れて行き、所長として働く姿を見せたこともありました。息子は技術者になりませんでしたが、縁あって当社に入り営業部門で頑張っています。

 若い人たちには、ものづくりに関わるすべての人たちと心のつながりを大切にしてもらいたい。どれだけ技術が発展しても建設業は、より良いものを造ろうとする人たちの気持ちで成り立っていると思います。

入社4年目ころ、現場事務所で。
技術者として自信が付き始めた時期だった
 (みもり・くによし)1983年千葉大学工学部建築学科卒、長谷工コーポレーション入社。建設部門第三施工統括部長、執行役員などを経て2020年4月から現職。東京都出身、60歳。

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