2020年10月5日月曜日

【中堅世代】それぞれの建設業・267

復興事業は着実に進展している。だが先は長い

 ◇離れても被災地の味方◇

  中央省庁で働く岩澤義貴さん(仮称)は出向で東日本大震災の復興事業に深く関わった経験を持つ。来年の3月で発生から10年の節目を迎える。最近、被災地で復興事業に奔走していた当時をたびたび思い出すようになった。

 公務員を志していた学生時代、映画「踊る大捜査線」の「正しいことをしたければ偉くなれ」というセリフが心にグサリと刺さった。偉くなりたかったわけではない。「自分がやりたいと思ったことを、やりたいと思った時にできる場所にいるのが大事」と考え、自治体ではなく中央省庁で仕事がしたいと考えるようになった。

 1年目に配属されたのは地方の出先事務所。大型の公共工事が減っている時代だったが、その事務所では新規着工の目玉工事があった。初めて担当したのは事業着手に向けた環境調査。生息する猛きん類や水生生物の調査を担当した。「中央省庁に入って生物の調査をするとは夢にも思わなかった」と振り返る。その後も地方や霞が関で道路、河川、航空などさまざまな分野の仕事を経験した。

 復興庁に配属されたのは集中復興期間(2011~15年)のただ中だった。国だけでなく民間も含めさまざまな人材が集まる組織。「出身が違っても同じ方向に向かって仕事をしていると、自然に関係が深まり仲間意識も生まれた」。復興事業は港湾や鉄道の整備を国土交通省が担うなど、各省庁がそれぞれの持ち場で役割を果たすのが基本。そこから抜け落ちてしまったり、省庁間の調整がうまく進まなかったりした事業を復興庁がフォローする。

 当時、防潮堤が話題になっていた。大津波を経験した被災地では震災直後、二度と同じ被害が起きないように防潮堤を作るべきだという声が挙がっていた。ただ時間が経過すると「海が見えないのが嫌だ」という反対の声も聞こえるようになった。

 「全体の復興事業も同じだが、整備の可否は国だけで決めることではない」。地域住民が議論し整備を決断するのが大前提。国はあくまでも支援の立場と考え、とにかく地元に入って話し合いを促した。

 復興庁は現場主義の看板を掲げ、地域住民らと話す時は基本的に現地に赴くようにしていた。岩手県に日帰り出張した時はさすがにつらいと思ったが、それでも「東京に来てもらい復興の手を止めるなどもってのほか」と弾丸出張した。

 復興庁は被災地の味方という立場。職員一人一人が仕事と行動で役割を体現していた。「ほかの省庁に言いにくいことも“復興庁さんには”と頼ってもらえ本音で話が聞けた」という。被災地と中央省庁が協議しているのを見て、議論のポイントがずれていると感じた時は、迷わず間に入ってアドバイスした。

 出向期間が終わり出身の省庁に戻った後は、復興事業とは縁遠い仕事を担当している。それでも「被災地の味方」という気持ちは変わらない。いつか被災地のため働く日が来たら、即戦力として役立ちたいと強く思っている。

0 コメント :

コメントを投稿