2021年3月3日水曜日

【東日本大震災から10年】3・11を伝えるー元港湾空港技術研究所理事長・高橋重雄氏

  ◇津波災害の死者をゼロに◇

 2018年に東日本大震災で大きな被害を受けた釜石港(岩手県釜石市)の湾口防波堤の完成式典に参加させてもらった。この湾口防波堤は大規模な捨て石マウンドの上にケーソンと呼ばれる箱を設置したもので、震災時には津波により全体の8割のケーソンが破壊された。

 津波は想定の約2倍の高さがあり、防波堤を大きく越流した。ただ、ピーク時の津波には耐え、陸地への津波の到達時間を6分遅らせ、津波高を4割、遡上(そじょう)高を5割それぞれ低減した。津波防波堤として大変粘り強かったと思うが、残念ながら津波による死傷者を完全に抑えることはできなかった。

 震災後、復旧工事を含む防災施設の設計にレベル1、レベル2という考え方が新たに取り入れられた。防災対策は「想定外でした」では許されない。従来の津波対策を考える時の津波規模をレベル1とすれば、これまで経験したことのない「最大級」の津波をレベル2とした。想定しうる最大級の津波をハード面だけで防ぐのは現実的ではない。このため、上部工形状の工夫などにより、多少変形しても減災機能を果たせる「粘り強い」構造などが導入された。湾口防波堤はわずか6年という短期間で復旧されたが、こうした粘り強い構造もきちんと採用されている。

 震災前の04年12月にマグニチュード(M)9・1のスマトラ沖地震が起き、大規模な津波被害が発生した。05年8月にはハリケーンカトリーナが米国・ニューオーリンズなどを襲った。いずれも過去最大級の地震や台風で、この時、日本でもM9クラスの地震が起こる危険性をもっと考えるべきであった。今から考えると大きな反省点だ。

 カトリーナの被害調査時に米国の防災担当者からレジリエンスという言葉を聞いた。震災後に日本でも使われるようになったが、この言葉には防災施設が「粘り強い」だけでなく、適切な減災と被災後への準備により、社会が災害に対しタフであり、「早期の復旧復興」が可能という思想も含まれている。

 過日、釜石市の野田武則市長が「ハード整備は大部分が終わりに近づいてきたが、被災者の方々の『心の復興』は計り知れないものがある」と言っておられた。災害で大切な人を失った心の傷は簡単に癒えるものではない。

 現在、南海トラフによる地震津波や台風による高波・高潮に対する防災・減災施設の整備が全国各地で進められている。衛星利用測位システム(GPS)波浪計のデータを活用した的確な避難のための各種シミュレーションの研究開発も行われている。これらはすべて災害による死傷者を減らし、早期の復旧・復興を目指したものだ。究極のレジリエンスはやっぱり「津波死者ゼロ」ということになるだろう。

 (たかはし・しげお)1973年名古屋大学工学部土木工学科卒、運輸省入省。港湾技術研究所(現港湾空港技術研究所)海洋・水工部長、津波防災センター長、理事長などを歴任。2016年沿岸技術研究センター理事長(現職)。岐阜県出身、70歳。

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