2021年9月13日月曜日

【駆け出しのころ】日建設計執行役員エンジニアリング部門構造設計グループ・杉浦盛基氏

  ◇考えて決める重みと醍醐味

 学生時代、建築の意匠・デザインは自分が良いと思っても、相手によって異なる評価もあり、同じ物差しでは測りにくい印象を持ちました。よって重力という不文律がある中、一定の決まり事に基づいてつくり込む構造設計の方が自分に合っていると感じました。

 スポーツ好きで大学時代はアメリカンフットボールに熱中しました。担当の先生から「根性と体力がありそうだから設計事務所に向いている」と言われ、入社して確かに根性と体力が必要だと実感しました。

 堅いイメージだった当社に入ってみると、サークル活動が盛んでイベントの多さに驚きました。テニス部やサッカー部など複数の部活を掛け持ち、仕事と遊びを両立しながら、忙しくも毎日が充実していました。職場も東京、大阪、名古屋を行き来し、社内外で築いた人とのつながりは大きな財産です。

 入社から4年の間で印象深い仕事は、デザインが個性的な東京・飯田橋と桜田門の派出所、構造が複雑な製鉄所の施設、東京湾アクアラインの川崎人工島「風の塔」など。風の塔の設計では、構造物の高さを決めるのに海上の現地でアドバルーンを揚げたり、外装の壁の汚れ具合を中央道・恵那山トンネルで調べたりするなど、構造設計以外にも貴重な経験をしました。通常の構造物と大きく異なり、どうしてこうなるかをきちんと考える大切さを学びました。

 若い頃は分からないことをただ尋ねるのではなく、自分で考え結論を出した上で先輩らに相談するよう意識しました。想定が甘く、間違いや至らないところは少なくありません。それでも周りの方々からアドバイスやサジェスチョンをもらいながら答えを導き出していったことが、成長につながったと思います。

 瀬戸デジタルタワー、京都迎賓館、名古屋市科学館理工館・天文館など、構造設計者として転機になったプロジェクトは多々あります。

 設計監修のザハ・ハディド・アーキテクツと設計JVで取り組んだ新国立競技場の設計では、今までにない新技術など、世の中を変えるきっかけになるようなものをいろいろ仕込むことができました。素晴らしいものになったと思えていただけに、白紙撤回となったのは非常に残念。当時の設計チームでは、技術もさることながら他国を含め他社の人たちが国際プロジェクトでどのように立ち回っているのかが分かり、刺激を受けました。こうした経験が次の新カンプ・ノウ計画コンペ(スペイン・バルセロナ)につながっています。

 つくり上げるまでにいろいろと苦しみはありますが、完成した時の喜びに勝るものはありません。さまざまな経験が自身の成長、ひいては会社の発展につながります。若い人たちには、設計の世界で物事を決める重みを感じながら、仕事の醍醐味(だいごみ)を味わってもらいたいです。

入社1年目、同期らと参加した会社の運動会で
(右端が本人)

 (すぎうら・しげき)1991年名古屋工業大学工学部社会開発工学科卒、日建設計入社。2020年執行役員エンジニアリング部門構造設計グループプリンシパル(現任)、21年からグローバルデザイン部門エンジニアリンググループ(構造・監理)プリンシパルを兼務。愛知県出身、53歳。

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