2021年9月27日月曜日

【駆け出しのころ】世紀東急工業取締役常務執行役員事業推進本部副本部長・樗木裕治氏

  ◇気後れせず何事にもチャレンジ◇

 大学4年の時に道路舗装会社の試験作業を手伝ったことが、就職を考えるきっかけになりました。担当教授の推薦枠もありましたが、せっかくなら働く会社は自分で決めたいという思いが強く、いろいろ探す中で東急グループの当社に興味を持ちました。リゾート地やテニスコート、ゴルフ場などグループの開発事業にも一体的に関わり、道路一辺倒ではなく、面白そうな会社だと感じたのを覚えています。

 入社後2カ月ほどの研修を経て、静岡県裾野市にある東海出張所に配属。出張所の裏にある古い宿舎で寝泊まりしながら、現場に通いました。

 最初の現場は、東急建設が元請で施工する研修棟の外構工事。最初は専門工事業者の人たちと一緒に同じ作業をすることで、現場のことを覚えていきました。鉄筋を結束するハッカーなど、専門の工具を身に付け、作業が大変そうだったら自ら率先して手伝いました。先輩からは「職人気質の方もいるから、やってもらう作業の大変さや仕事の頼み方など、相手のことをよく理解するように」と諭されました。

 続いて任された測量業務は、高低差のある山あいの現場で合わせる基準が少なく苦労しました。当時は座標も手計算だったこともあり、間違えてはいけないと緊張の連続。指導を受けていた先輩が途中から元請側の仕事に手を取られることが増え、一人でやらなければいけない場面も多くなりました。

 厳しい工期の現場が無事に完工し、打ち上げが開かれたすし店で現場所長に「よく頑張った」と声を掛けられた時、緊張が途切れたからか、感極まって涙を流しました。「これで土木の仕事から抜けられなくなったな」という先輩の言葉が今でも耳に残っています。

 続いて、調整池のアスファルト防水を打ち直す現場に勤務。斜面で人と大型機械が同時に作業するため、安全には特に気を使います。資機材の点検管理をどれだけ徹底しても、事故が起こらないかと不安の毎日でした。

 3年目には現場代理人として、自衛隊の格納庫のコンクリート舗装の工事を担当。現場作業のことは分かりますが、発注者とのやりとりは理解できておらず、他の工区のやり方を見ながら必死に取り組みました。標高が高く、冬季は氷点下になる場所のため、大量のコンクリートを短期間で打設する必要がありました。自分の判断で施工方法を工夫しながら、朝から晩まで作業を続け、何とか工期通りに終えることができました。こうした経験を糧にし、気後れせず何事にもチャレンジする姿勢が身に付いたと思います。

 現場では小さなミスが大きなトラブルを招きます。若手には「確認」を大切にしてもらいたい。単に見るだけでなく、深く掘り下げて調べることがミスをなくし、周囲からの信頼につながります。

入社1年目、研修時の懇親会で同期らと(右端が本人)

 (おおてき・ゆうじ)1988年東京電機大学理工学部卒、世紀東急工業入社。北関東支店長、九州支店長などを経て、2021年から現職。鹿児島県出身、57歳。

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