東北に勤務していた時、東日本大震災の復興祈念施設を何度か訪れた。整然と整備された公園、立派な建物。そこに身を置くと、復興の歩みを感じた。その一方で、言葉にできない戸惑いが、いつも心にあった▼公園や建物は、静かで、きれいで、荘厳だった。だが、その静寂の向こうには、かつて確かに人の暮らしがあり、突然それを奪った津波があった。鎮魂の場に身を置くと、悲しみだけでなく、失われた日常の重さまで浮かび上がる▼目の前の穏やかな風景が、「あの日」を想像させる。立派な施設を批判したいのではない。むしろ、後世に記憶を伝えるために必要な場所だと思う。それでも、整えられた景色と、そこで起きた現実との間には、簡単に埋まらない距離がある。そのギャップに戸惑い、自分がその場にいていいのか迷った▼きょうは防災の日。災害を「過去の出来事」にしないために、記者としてもう一度、恐怖や悲しみと向き合いたい▼静かな場所に立った時こそ、そこにあった暮らしを考える。突然奪われた日常に思いを巡らせる。あの日の風景を想像し続けることが、災害を「過去」にしないための一歩なのだと思う。
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from 論説・コラム – 日刊建設工業新聞 https://www.decn.co.jp/?p=187272
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