神奈川県の観光地・八景島に近く、夏には多くの海水浴客でにぎわう海の公園(横浜市金沢区)に、明治期に完成した検疫施設「旧長濱検疫所一号停留所」が移築された。国内洋風建築の黎明(れいめい)期をたどる上で貴重な文化遺産の一つで、国の登録有形文化財にもなっている。移築後は、8月10日に建物の活用事業者に選ばれたスターバックスコーヒージャパンがカフェを開業。明治の面影を残す建物が、新たな場所で時を刻み始めた。
明治時代初頭に流行した感染症「コレラ」への対策として、明治政府は神奈川県の長浦村(現横須賀市箱崎)に1878年、横浜検疫所の起源となる「長浦消毒所」を開設した。
日清戦争に伴う横須賀軍港の拡張に伴い、消毒所は95年に長濱(現横浜市金沢区長浜)へ移転。翌年、「長濱検疫所」に改称された。一号停留所は移転に合わせ、感染症の疑いのある上等船客を一時的に収容する施設として建てられた。99年には、医師として駆け出しだった野口英世が海港検疫医官補として採用され、検疫所で勤務した。
一号停留所は1923年の関東大震災で損傷した。当時の資料によると、多くの建物が倒壊などの被害を受ける中、一号停留所は傾きが軽微で修理可能と判断され、古材も使って復旧工事が進められた。再建は被災翌年の24年。第2次大戦後、横須賀市浦賀に検疫所が設けられるまで、感染症のまん延を防ぐ施設として重要な役割を果たした。47~55年には、海外引き揚げ者らの宿泊施設にも使われた。
検疫所としての役割を終えた後も、一号停留所を含む2棟は解体されずに残った。その歴史的・意匠的価値が認められ、2018年に国の登録有形文化財となった。
今回の移築は、23年の厚生労働省横浜検疫所の移転に伴って実施された。一号停留所は、建築の歴史を伝える文化財として移築・保存することが決まり、入札の結果、神社仏閣や文化財の保存修理を強みとするアイチケン(愛知県江南市、井上小百合社長)が工事を担った。25年3月に完了した。
移築では、当時の面影を残すことを最優先した。柱や梁、窓、ドアノブ、金具も可能な限り再利用。解体時には各部材に番付を施し、元の位置が分かるようにした。何度も塗り重ねられた外壁や内装は、サンドペーパーで丁寧にこすり、再建時の色を特定した。壁紙も一部に当時のものを使っている。
工事を終えた一号停留所は市に引き渡され、公園指定管理者の横浜市緑の協会が活用事業者を公募。スターバックスコーヒージャパンが店舗を開業し、停留所にあった食堂や談話室などがカフェスペースに生まれ変わった。
当時はサンルームの役割も果たしたという日当たりの良い廊下も残る。和洋折衷が主流だった時代の建築として貴重な、純洋風の意匠が現代に受け継がれた。店舗設計に携わった1級建築士の岩元俊輔氏は、「真ちゅうのフレームなど、通常の店舗では見られない要素がある。空間体験として楽しんでほしい」と話す。
保存に向けて働きかけてきた有志団体もある。野口英世よこはま顕彰会(染谷優児事務局長)は、「日本の検疫の黎明期を伝える貴重な建物を残す」ことを使命に、各方面と連携して署名活動を展開してきた。一号停留所だけでなく、施設に収蔵されていた幕末偉人の扁額(へんがく、名称や文字を記した額)など、貴重な資料の保存も訴えた。
一号停留所は移築され、資料は国が収蔵することになった。染谷氏は、当時の面影を残した移築を喜ぶ。「海水浴や散歩を目的とする人々の目に触れる。スタバの人気も驚くほどだ」。今後は年に数回、一号停留所で検疫の歴史や野口の働きを伝えるイベントも計画する。
「開国以降、各地の港町に建てられた検疫所で唯一現存する施設だ。コーヒーカップを傾けながら建物の雰囲気を感じつつ、検疫の重要性を改めて学ぶ場になってほしい」と思いを語る。
横浜検疫所の小倉義之総務課長は「検疫所は、感染症が治まると世の中の関心が薄れてしまう。検疫の歴史と併せて、貴重な遺構を後世に残せるのであれば、越したことはない」と語る。市みどり環境局戦略企画部戦略企画課まちづくり連携担当課長の臼田吉徳氏も「優雅な時間を過ごしながら、歴史を感じてほしい」と話す。
建物内には、野口の活躍や検疫所の歴史を伝えるパネルが多数設置されている。コーヒー片手に、人々を疫病から守ってきた施設の歴史を感じてみてはいかがだろうか。
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from 論説・コラム – 日刊建設工業新聞 https://www.decn.co.jp/?p=187592
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