人は、自分の理解できる範囲でしか世界を認識できない。真の問題は、器の小ささや浅さそのものではない。それを自覚せず、自分の視界がすべてだと思い込むことにある。海図を持たずに航海へ出て、なぜ遭難したのか分からない船長のようだ▼時代は静かに、冷徹に進む。止まった時計を見つめながら、自分だけは前に進んでいると錯覚してはいないか。感覚のズレを見過ごし、異変を告げる警報を雑音と退けているうちに、足場は崩れ落ちていく▼「困った時は自助努力」と言われる。だが、それは弱者を切り捨てる言葉ではない。本来の自助努力とは、いざという時に誰かと手を取り合えるよう、知識や技量を磨き続けておくことだ。孤立を前提にした努力を、自立とは呼べない▼谷底へ突き落とす「獅子の子落とし」を教育と呼ぶ時代は終わった。突き落とす前に、危険を察知する視点を渡し、足場を確かめる方法を示す。それこそが先達の責任である▼無自覚な傲慢(ごうまん)と、学びを更新しない怠慢を許す行為は判断ミスにつながる。古びた海図にしがみつく船の漂流は選択を誤った、その瞬間から始まっている。
from 論説・コラム – 日刊建設工業新聞 https://www.decn.co.jp/?p=181677
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