明治40(1907)年7月末、5人の文学青年らが東京をたち九州への旅に出る。旅先からの紀行文は新聞に「五足の靴」のタイトルで全29回連載された▼旅人は新詩社主宰の与謝野鉄幹と、北原白秋、平野万里、木下杢太郎、吉井勇の学生ら4人。雑誌『明星』に集う詩人たちで、約1カ月の旅で長崎や平戸、島原、天草などを訪れた▼表題が「草鞋」でなく「靴」であることについて、日本文学研究者の宗像和重氏(早大教授)は「彼らが踏みしめようとしていたものが、決して日本的な風土や土俗的なもののみではなかった」と解説する(五人づれ著『五足の靴』岩波文庫)。この旅で南蛮文化などに触れ、後の創作に大きな影響を与えたとされる▼現在は当時と比べようもないほど交通の便が良いものの、コロナ禍で旅行もままならない日々が続いたここ数年。行動制限のない2年目の夏に遠出を楽しむ方もおられよう▼5人が旅した翌年、『明星』は100号で終刊となる。五足の靴が再びそろい大地を踏みならすことはなかったようだが、「彼らの旅は、稀有(けう)な幸福に満ち満ちていた」と宗像氏(同)。そんな旅に憧れる。
source https://www.decn.co.jp/?p=155000
0 comments :
コメントを投稿