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1993年に京都で開かれた国際コンクリート連合のシンポジウムで。PC免震橋について発表した。 |
◇若い人はとがってるくらいがいい
1977年に入社し、橋梁設計課に配属されました。名称には「設計」とありますが、技術開発や現場指導、技術営業なども担当する部署でした。上司や先輩はすごい面々で、技術者として自信に満ちた方がそろっていました。
いくつかの橋の設計も担当しましたが、80年に道路橋示方書が改定されるのを受け、設計に使う一連のソフトを作り直す作業を任されました。
プログラムの仕様作りだけでなく、作成したソフトを使った解析結果が正しいかどうか、自分で計算した結果と比べて確認することまで行っていましたので、この業務を通じて設計の流れをよく学ぶことができたと思っています。
会社の留学制度で社内試験を経てドイツに1年間留学しました。技術者としてPC斜張橋を造りたいという夢があったからです。海外にある斜張橋などを実際に見て回れたのはとても貴重な経験でした。
留学を終えて本社の設計課に戻ってからのことです。斜張橋の最適設計で分かってきたクリープの問題をまとめた論文が、土木学会論文集に掲載されました。自分たちでもそうした場に出て行けるんだと大きな自信になりました。
初めての現場勤務は入社9年目でした。手掛けてみたかったPC斜張橋の工事です。初めてやることはすべてが怖く、数値の根拠がないとなかなか現場を進められないものです。当時の所長から、そのためには設計を知っている人間が必要だったと言ってもらい、とてもうれしかったのを覚えています。今もこの方は私が尊敬しているお一人です。新工法や情報化施工に挑戦し、生コンすべてを自分の目でチェックしました。現場での経験は大いに役立ち、現場を思う気持ちを育み、それまでとは違って周りから自分の声を聞いてもらえるようになったとも感じました。
もの造りだけでなく、地元の方たちと接することができるのも、土木屋としての楽しみです。最初の現場には家族を連れて赴任しましたから、よけいに近所の方たちに仲良くしてもらいました。現場近くの造り酒屋さんで飲んだ絞りたての日本酒がうまくて、今年の正月もその味を堪能しました。
若い人たちにはいろんなことを経験してほしいと思っています。しかし、土木は分野が広いので、ある分野では技術のスペシャリストにならなくてはいけません。技術開発も楽しい。私はPC免震橋など、常に先取りしてやらせてもらってきたと自負しています。どんな仕事でも、後には必ず自分の栄養になっているものです。自分がそうだったからかもしれませんが、若手はとがっているくらいがいいのです。
(あらい・ひでお)1977年東大工学部土木工学科卒、住友建設(現三井住友建設)入社。設計課長、現場所長を経て土木本部技術部長、三井住友建設執行役員東京土木支店長、常務執行役員、土木本部長、13年4月から現職。工学博士。栃木県足利市出身、60歳。
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