2015年2月2日月曜日

駆け出しのころ/戸田建設取締役常務執行役員建築工事統轄部長・早川誠氏

入社1年目に配属された現場の事務所で、杭工事を担当していた

 ◇難局を乗り越え自分の肥やしに
 父が大工の棟梁だったので、私も小学生のころから休みになると手伝いに行き、大工のまね事のようなことをしていました。1964年の東京五輪は中学1年生の時に開催されたのですが、その前から競技場などの建設ラッシュでしたので、そうした大きなものを造る仕事に関心を持つようになりました。
 戸田建設に入社し、本社で約1週間の研修を受けて横浜支店に配属されました。その日か次の日にはもう現場に出ていたように記憶しています。
 最初の現場は、川崎市の扇島で製鉄所内の高炉原料設備を造る工事でした。私の担当は杭工事です。現場では杭打ち機のハンマーで杭頭を打撃すると、そのたびに油煙が遠くまで排出されました。ハンマーが上下しているすぐ下で最終沈下量を測定していた私も、杭工とともに油まみれの日々でした。
 当時、メーデーに参加して疑問に思ったことがありました。プラカードに「日曜は休ませろ!」と書かれていたのです。会社は土曜日が半休、日曜日が休みでしたので、なぜ当たり前のことを求めているのかと思ったものです。ところが、次に配属された会館建築工事の現場で、プラカードの意味が身に染みて分かりました。そこは相当の突貫工事で、竣工までの3カ月間、1日も休みがなかったんです。心の底から「日曜は休みたい」と望みました。
 この現場では得たことも多くありました。実際のRC躯体と墨との誤差をどう調整するかを学んだのもその一つです。躯体と図面から出した墨には誤差が生じ、墨通りにサッシなどを取り付けようとしても納まらないことがあります。その場合にどうするか、私たちが知っているかどうかで工事の進み具合は大きく変わってきます。こうした調整能力は現場で経験を重ねないと身に付かないものです。
 仕事に関しては決められたことを愚直にやる。いつもそう心掛けてきました。現場の技術者は先輩からいろいろなことを教えてもらい、しっかり本も読みながら知識を深めていかなければいけません。私が先輩から言われて今も実践しているのは、何でもメモを取ることです。家には多くの野帳とノートが残っています。
 これまでに何度か会社を辞めようかと思うほどのつらい局面もありました。そのたびに先輩や上司に相談して仕事を続けてこられました。失敗や厳しいことを乗り越えると必ず自分の肥やしになります。後輩たちも相談相手を持ち、早計な判断はしてほしくないと思っています。
 (はやかわ・まこと)1975年東工大工学部建築学科卒、戸田建設入社。04年名古屋支店建築部長、07年東京支店建築工務部長、09年東京支店支店次長、12年執行役員建築工事統轄部建築工務部長、13年取締役常務執行役員建築工事統轄部長。東京都出身、63歳。

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