建築家の中園正樹(なかその・まさき=松田平田設計最高顧問・前社長)氏が昨年12月25日に死去した。76歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は妻のともゑ(ともえ)さん。後日、お別れの会を開く予定。日時や場所は未定。
1942年生まれ。64年に武蔵工業大学(現東京都市大学)工学部建築学科を卒業し、松田平田坂本設計事務所(現松田平田設計)に入社した。取締役、常務を経て95年に社長就任。身の丈に合った経営を貫き通し、社会の変化に対応できる組織づくりに心血を注いだ。18年12月6日付で最高顧問に就き、後進に将来を託した。
松田軍平、平田重雄両氏の顔を見た最後の世代として、「建築に対する理念と情熱、職能倫理を常に堅持し誠実・公正な設計を行う」という創業者の精神を自ら実践。優れた提案力と設計力を発揮し、横浜国際総合競技場や東京国際空港(羽田)第2旅客ターミナルなどの秀作を残した。日本建築学会賞やBCS賞など多くの賞も受けた。
中園氏の死去を受け、高校時代からの後輩となる建築家・新居千秋氏は、日刊建設工業新聞の取材に「格好いい先輩だった。自宅も近く普段から声を掛けていただき、困った時には心配し支えてくれた」とコメント。「松田平田では新しいことができる、そんなきっかけを作った人。建築にとどまらずファッションなどに対しても美意識が高く、存在感やキャラクターが際だっていた。建築界がつまらなくなってしまう」と別れを惜しんだ。
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