◇どれだけの引き出しを持てるか
前田建設に就職することが決まり、私は関西にいたので大阪あたりに配属されると思っていました。ですから入社前に会社から東京へ荷物を送るよう連絡があった時も、何で研修のためだけに送るのかと不思議だったのを覚えています。入社して配属されたのは東京の本店経理部。東京のことをほとんど知らず、最初のころは何かと大変でした。
当時は支店や現場には電算が入っていましたが、一番遅れていたのが本店でした。そろばんがなかなかできずに苦労しました。会社の重鎮で経理部長の岩井吉之助取締役(当時)をはじめ、上司からは経理の厳しさをたたき込まれました。
本店での勤務を経て、78年に大阪支店経理部に異動します。ここで初めて現場との関わりを持つようになり、原価管理のことを学びました。上司から言われたのは、現場からの相談によく乗ること。経理が現場から信頼されていないと相談になど来てくれません。相談に来るのは何か困ったことがあるからで、それに対しアドバイスできるようにするためには、自分がいろんな引き出しを持っていることが大切です。
本店と支店で経理を10年担当し、ひと通りの仕事はできるようになったという思いもあったので、入社11年目に海外の現場へ行くようにと話があった時は意外でした。赴任先はマレーシアのバタンアイダム建設工事。初めての現場勤務でもありました。所長は「ダムの神様」と呼ばれていた間宮達男取締役(当時)です。素晴らしい方で、現場で利益を創出するにはどうしたらよいかを学ばせていただきました。
例えば、お客さんが乗った車であろうと何であろうと、ダンプを少しでも止めたら職員は怒られました。現場では重機が一番に優先されるものだからです。この現場には小原好一社長もいました。大変に厳しい現場でしたが、間宮所長でなければ皆が付いていかなかったと思います。そしてここでの経験がなければ、今の私はいなかったかもしれません。
経理の担当者には、判断を誤らず、自分の信念を持って「これは駄目だ」と言える人間になってほしいと思います。それぞれの年代に応じた自分の器量を持つことも大切です。それは自分で培うもので、年代が上がるにつれて大きくなっていきます。何でも聞いているばかりでは駄目です。経理の本筋を曲げてはいけませんが、自分の器量で逃げずにできる範囲のことをやるのが重要であり、「評論家には絶対になるな」と言っています。
(ふくた・こうじろう)1973年関西大経済学部卒、前田建設入社。本店経理(現財務)部長、取締役常務執行役員、同専務執行役員経営管理本部長兼調達本部長、同執行役員副社長、代表取締役執行役員副社長などを経て14年4月から現職。鳥取県出身、64歳。
マレーシアでの現場勤務を終えて帰国する際、会計事務所が開いてくれた送別会で記念品を手に |
若い頃からの素晴らしい努力があったからこそ、今の福田幸次郎さんができているのだと思いました。これからも副会長を頑張って下さい。
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