2022年2月21日月曜日

【駆け出しのころ】大林組執行役員グリーンエネルギー本部副本部長・安藤賢一氏

  ◇自分のよりどころとなる柱を◇

 大阪出身の自分にとって身近なゼネコンだった当社のことは、大学の先輩たちからも施工現場の話などをよく聞いていました。海外の仕事にも携わってみたいとの思いがあり、当社に入社しました。

 最初の配属先は現場だろうと勝手に思い込み、やる気満々でしたが、会社から伝えられた部署は土木本部の設計部門。勤務場所も東京だと言われ、当初思い描いていたイメージとはだいぶ違うなと感じました。

 当時の担当課長は高卒で入社後に留学した米国の大学でドクターまで取られた、たたき上げで有名な方でした。「努力しないやつは駄目だ」「大学院まで行って何やっていたんだ」などとよく怒られ、ものすごく厳しかったです。

 設計の仕事には、独特の緊張感がありました。設計が間違ったら、そのまま施工して造られてしまい、鉄筋一つとっても構造が持たなくなる可能性があり、取り返しの付かない事態も考えられます。適切に設計したつもりでも大きな地震が来れば不安になり、怖さを感じていました。

  当時の思い出深い仕事の一つは、液化天然ガス(LNG)タンク関連の設計業務。プレストレストコンクリートを用いた新しいタイプの構造物で、耐震性能などの計算・解析をひたすらやっていました。民間のエネルギー関連施設は設計・施工で対応するため、顧客とじかに接する機会も多く、新技術の提案など、営業に近い部分があります。事業全体を俯瞰(ふかん)できるような面白さもありました。

 技術者として貴重な経験をさせてもらう中で、自分の力で新しい分野を開拓したいとの思いが募ります。社内であまり専門的に取り組んでいなかった「地下水」について2年間、米国の大学で学びました。新しく、面白いことに貪欲だった設計部門の担当課長の影響もあったと思います。

 帰国して2年ほど地下関連の設計に携わった後、スイスの研究機関に派遣されます。コミュニケーションはドイツ語が基本で新参者に厳しく、日本からの視察団の対応など大変なこともありました。そんな中でも、ヨーロッパの雰囲気を味わえ、生活は楽しかったです。

 入社から15年のうち約半分は社外にいたため、当社全体の中で自分が何をしているかがよく見えていない感覚はありました。一方で他社の人たちの仕事を見ることができ、逆に当社のカラーがよく見えたことは、良い経験でした。

 仕事を楽しく、面白くするためには、基礎になる力が不可欠。若手には自分の中によりどころとなる柱を築き、自分の売りを作ってもらいたいです。そうした柱がないと周りを説得できず、面白いことも任せてもらえません。

30代半ばに派遣されたスイスで子どもたち雪遊び

 (あんどう・けんいち)1987年京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、大林組入社。アリゾナ大学大学院留学、NAGRA(スイス)派遣、技術本部原子力本部原子力環境技術部副部長、土木本部本部長室長などを経て、2021年4月から現職。大阪府出身、60歳。

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