2022年2月7日月曜日

【駆け出しのころ】三井住友建設取締役専務執行役員・相良毅氏

  ◇自分にはさらに厳しく◇

 東京・西新宿の三井ビルなどの超高層ビルを見て、建築への思いが強まりました。大学では意匠系を学んでいましたが、デザイン力では同期生らに太刀打ちできないと感じ、現場施工で行こうと決意を強くしました。

 縁があって当社に入り、最初の配属先は九州支店でした。初めての現場はJVのサブとして施工に携わる大型商業施設の工事で、10カ月ほど勤務しました。広大な現場で機械油にまみれながらくい打ちの品質を管理したり、職人と一緒になって資材を運んだりと、一日中現場に出ていたのを覚えています。

 目の前の仕事に必死でつらいと思うことはありませんでした。部分的に先輩から教わることはありましたが、新人時代は自ら学んで覚えることが普通でした。

 本格的に技術者として携わった現場は、1年目の後半に赴任した福岡市内の病院です。作業員に物おじせずに指示を出すなど、現場に慣れてきた頃、帰宅しようとした時に副所長から声を掛けられました。

 ある晩の午後8時ころ、10トンダンプ2台がメインゲートに降ろした砕石を「明日、作業員が来る前までにならしておけ」と厳命を受けました。翌朝の午前4時、一人でスコップを持って作業を始めました。午前6時になっても半分も終わらない。途方に暮れていた時、現場に出てきた作業員が次々と手伝ってくれました。その時に言われた「大学出てもやをいかんなぁ(うまくいかないな)」の一言が今でも耳に残っています。作業後、副所長から「お前が先頭になって動かなければ人は動かない」と諭され、「率先垂範」の大切さを学びました。

 技術者として一つ一つの現場での経験が成長につながります。仕事を楽しく感じられるようになってきたのは、入社4年目に担当した北九州市内の事務所ビルからです。当時、九州では当社が担う一番大きな現場でした。仕事を俯瞰(ふかん)して見られるようになり、現場をある程度コントロールする余裕が出てきた頃でした。

 業績を上げよう、認めてもらおうと力が入りすぎ、先輩や協力業者から孤立したこともあります。自分は間違っていないと妥協ができず、周囲から厳しすぎると煙たく思われることもしばしばでした。しかしながら、衝突していても現場が終わると仕事の姿勢を評価してくれる人がいて、技術者として信頼してくれていたのだと思います。

 「人に厳しく、自分にはさらに厳しく」をモットーに頑張ってきました。失敗しても「なにくそ」と立ち向かい、「一丁一から出直しや」と切り替えるのが大切です。諦めず前に進んでいけば必ず道は開けます。

入社1年目、病院工事の担当者らと(右から2人目が本人)

 (さがら・たけし)1981年早稲田大学理工学部建築学科卒、三井建設(現三井住友建設)入社。九州支店長、安全環境生産管理本部長などを経て2021年から現職(安全環境生産管理本部・DX推進担当)。長崎県出身、64歳。

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