2020年4月6日月曜日

【駆け出しのころ】前田建設取締役専務執行役員土木事業本部長・中西隆夫氏

 ◇諦めずに達成感を◇

 父親が建築関係の仕事をしていました、幼いころ現場に連れて行ってもらい、こういう仕事もいいなと思いました。あまのじゃくだったので親と同じ建築ではなく、土木に目が向きます。学生時代を過ごした福岡では地下鉄建設が真っ盛り。インフラで社会を下支えするダイナミックな土木工事に携わりたいとの思いが強くなりました。

 前田建設に入社後、最初の2年間は本社土木部に勤務。ダム関係の先輩技術者に付いていろいろ学びました。そのままダムの現場に配属されると思っていたのですが、行き先が二転三転します。最初に北海道の原発関連の現場と伝えられ、1週間後には石垣島のダム現場に変更。三度目の正直で瀬戸内海に工場用地を整備する埋め立て現場に赴任先が決まりました。

 結局、初勤務の現場には2週間しかいません。本社上がりの現場技術者1年生。受け入れ側は入社3年目の技術者としてのスキルを期待し、実際とギャップがあったのかと思います。

 次の現場は本四架橋関連の高架橋下部工。よく叱られ、しばらくは相当苦労しました。ある仕事を任された時、自分が納得するまで手離れできない性格もあり、みんなが帰っても遅くまで残業していました。現場の事務所兼宿舎で夜中に仕事をしていると、そこに寝泊まりしている所長によく注意されました。

 その後は、山奥の小さな現場を転々と任されます。本当に小規模工事だったので、ゼネコンがやらなくてもいい仕事ではないかと思ったほど。同期が大規模で技術的に難度の高い現場を担当し、焦りもありました。そんな中でつらいことも重なり、入社後たった一度、父親に現状への不満をぶつけました。

 電話口での父親の言葉はよく覚えていませんが、後になって振り返れば、当時の現場管理の経験は大変勉強になりました。大きくても小さくても基本のやるべきマネジメントは一緒。現場技術者としての基礎が固まりました。

 20代後半からは四国の高速道路の現場を中心に回り、トンネルも9本掘りました。貫通した時、山の中に後光が差す場面は何回見ても鳥肌が立ちます。竣工検査の日にはみんなで飲みに繰り出し、持参したヘルメットの中にビールやウイスキー、日本酒を入れて回し飲みしたのもいい思い出です。

 関係者が一丸となって決められた時間内にきちんと造り上げ、お客さんに引き渡した時の達成感がものづくりの楽しさだと思います。自分の主張ばかりを押しつけても現場は前に進みません。ワンチームになるには相手の立場でものごとを考える姿勢が大切。楽しいことばかりではないですが、若い人たちには諦めず、前を見て達成感を味わってほしいです。

入社7年目ころ、自身初のトンネル工事の現場事務所で(前列中央が本人)
(なかにし・たかお)1981年九州大学工学部土木工学科卒、前田建設入社。執行役員、常務執行役員などを経て2020年4月から現職。長崎県出身、61歳。

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