2020年4月20日月曜日

【駆け出しのころ】大気社常務執行役員環境システム事業部東京支社長・安原政明氏

 ◇いろいろ学び苦手なくす◇

 地元(新潟県燕市、三条市)は古くから刃物や洋食器を中心にものづくりが盛んです。学校の周りに小さな工場が立ち並び、同級生の大半は実家が工場を営んでいたこともあり、普通科に進学するよりも工業高校で技術を身に付けた方がいいだろうと思いました。高校時代から自らの技をアピールすることに憧れていました。部活の体操部で技を磨き、県大会に出場して3年連続の団体優勝を果たしました。

 実家は左官業を営み、将来は家業を継ぐことになるのかなと漠然と考えていました。けれども両親は子どもに跡を継がせようとは思っていなかったようです。母親も「新潟での建設業は冬の間雪で仕事ができず収入がなくなるから、サラリーマンがいいのではないか」とよく言ってました。

 大気社に入ったきっかけは同じ部活の先輩からの誘いもあり、親には特に相談せずに入社試験を受けました。入社後は産業空調用の設計部門に配属。設計に必要な知識が全くなく、分からないことだらけでした。職場から寮に戻ったら先輩が帰ってくるのを待って、質問攻めの毎日です。当時では珍しい冷暖房完備の寮も若手にとってはいい教材になり、自分たちで管理しながらシステムを学ぶことができました。

 現場勤務に異動するまで設計部の4年半は、技術者として基礎固めの時期となりました。教わりながら自分で計算、設計、見積もりを行い、その成果が受注へとつながります。最後の試運転なども手伝い、一連の仕事を経験できたのはよかったです。

 設計部門のうち、ビル系空調は設計事務所のサポート的な役回りですが、産業空調は顧客と直接対話しながら設計作業を進めることができました。さまざまな企業の実験施設に携わり、顧客が何を求めているかをきちんと理解する大切さを学びました。

 思い出深い現場として、当社初の営業線地下鉄駅の冷房化工事では、見慣れない土木の図面と格闘しながら工期に間に合わせました。東京・大手町の超高層複合ビルの建設現場では、新宿に移転する都庁の建設と重なり、技術者と技能者の確保に奔走しました。

 若手の育て方は人それぞれですが、同じことだけをやらせるスペシャリストよりも、いろいろな部署をローテーションしながら経験を積むことが、本人の将来性を伸ばすことにつながるはずです。体操競技で培った技術・経験もそうでしたが苦手なものも平均点以上を取れば、得意なものと合わせて総合力で上位にランクされます。

 ものづくりは個の力だけでなく組織の力も不可欠。世代を問わずチームワークを良くするため、レクリエーションなども企画しながら交流の場を設けることにも率先して取り組んできました。プライベートの時間は尊重しますが、仕事だけでなく遊びもみんなで楽しむことは、組織の一体感を高めるために必要です。

東北支店の仲間たちと参加したおととしのどんと祭で(中央手前が本人)
(やすはら・まさあき)1974年新潟県立三条工業高校機械科卒、大気社入社。東京支社技術部長、東北支店長などを経て4月から現職。新潟県出身、65歳。

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