29歳のころに従事していた横浜市内のビル建設工事(JV)の現場で、低層棟の仕上げ(石工事)を担当していた |
学生の時に建築現場を見学し、活気のある職場だと感じて建設会社でものづくりに携わることを希望しました。しかし、大学を卒業したころは建設業が「冬の時代」であり、就職には厳しい環境でした。
熊谷組の就職試験では、面接で「英語を話せるか」と質問され、本当はほとんど話せなかったのですが「日常会話くらいならできます」と答えてしまいました。当時の熊谷組は海外での仕事が多かったので、面接でそう聞かれた自分も入社したら海外に勤務するのだと思い、内定をもらってから夏休みを利用して英会話学校に通いました。
そうして入社したのですが、最初に配属されたのは横浜支店の東戸塚工事所。そこで住宅工事を担当しました。以来、海外に勤務したことは一度もなく、現在に至っています。
その最初の建築現場は若手の社員も多く、先輩に仕事を教えてもらいながら、少しでも早く先輩に追い付こうとがむしゃらの日々でした。携帯電話などない時代ですから、先輩から何か言われると現場を走り回っていたのを思い出します。
新入社員だった当時、現場で職人さんと話がかみ合わず、けんかになりかけたことがありました。このことには学ばされ、今後はそうならないようにしようと強く思いました。自分からどう上手に話し、こちらの考えた通りに仕事をしてもらえるか、真剣に考え、悩んだものです。
ゼネコンの現場監督というのは1年目でも管理者の立場です。現場で何か質問をされたら判断し答えるのも仕事であり、その判断を間違えると現場に損失を与えてしまいます。そういった意味では特殊な仕事といえます。必ず確認を怠らず、慎重にやることが必要です。これまで新入社員の研修でもその点を強調してきました。
自分たちが手掛けた建物には愛着があります。現場で育ってきた人は皆、異動で現場を離れてからもまた戻りたいと思うのではないでしょうか。私もその一人です。01年から約1年間と、03~07年には本社建築事業本部に在籍しましたが、会社にお願いして二度にわたり現場勤務に戻してもらったこともありました。
私たちの仕事に大切なのは、関係者とよくコミュニケーションを取ることです。そして施工者として言われた通りに造るだけでなく、必要に応じて使い方も含めていろいろなことを検討し提案する。そうでなければ一流の建設会社とはいえないと思っています。
(うえだ・しん)1984年早大理工学部建築学科卒、熊谷組入社。03年本社建築事業本部建築部副部長、13年首都圏支店建築事業部建築部長、14年執行役員首都圏支店副支店長兼建築事業部長。東京都出身、52歳。
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