田辺宏幸さん(仮名)は、10代で父親が経営するとび職の会社に入り、20代前半で跡を継いだ。一人の職人であると同時に経営者。二足のわらじを履いて必死に走ってきたこの10年を、「自分と近い世代の会社の仲間たちと一緒に、苦労しながらも楽しくやってこられた」と振り返る。
人との出会いにも恵まれた。元請のゼネコンのある現場所長には、職長になった10年ほど前から目をかけてもらい、いろいろな現場を経験させてもらった。「経験が浅い自分たちを現場に呼んでくれ、いろんな仕事に挑戦させてくれたことが職人と会社の成長につながった」
10人の職人を抱える会社のこれからを見据え、人材の確保・育成にも力を入れようと考えているが、最近は若い人が入ってもすぐに辞めてしまう現状に悩まされている。先日も19歳の若手が入社3カ月後に職場に来なくなった。
「昔は賃金も含めて建設業に魅力を感じ、作業が大変でも職人に憧れる人はいた。今の時代はそこまできつい思いをしなくても同じぐらい稼げる仕事がたくさんある。若者は現実を目の当たりにして心が折れてしまうのではないか」と分析する。
国や業界団体などでは建設産業の人材確保策の一環として女性活用を推進しているが、田辺さんは「とび職など専門職種によっては制限が多く、法制度や規制を変えないと男性に交じって同じような仕事をさせるのは難しい」と指摘する。一方で、この業界で働く女性が増えることは、旧態依然とした職人の世界を変える契機になるとも考える。
田辺さんの10代半ばの妹はとび職を志望していたが、現在は会社の経理に役立つパソコン教室に通う。将来、現場で女性を受け入れる環境整備が一段と進み、本人のやる気も変わっていなければ、とび職人として妹を鍛えようと思案中だ。
職人の雇用環境を改善する取り組みでは、技能労働者の社会保険加入を促進させる動きもある。未加入業者が現場から強制的に排除されることを見越し、田辺さんは会社の職人たちに社会保険に加入してもらっているが、「ばか正直にやっている会社が本当に生き残れるのか」と不安も口にする。周囲に社会保険加入に取り組む企業は少なく、現時点では、それがコスト競争力の面での格差となっているからだ。
「日給月給の職人の世界では今の社会保険制度は成り立たない。たまたま今年4~6月に稼ぐと、翌年支払う保険料の額が大きくなる。先々の見通しを立てにくい建設業ではリスクばかりが増大し、このままのやり方では職人の賃金を減らすか、会社をつぶすしかなくなる」
人に優しい現場をつくる-。田辺さんは懇意にしている現場所長から教わったこの言葉が、最近は他の元請企業の現場などで実践しづらくなったと感じている。
「昔は下請と一緒に作り込もうと考える監督が多かったが、最近は頭ごなしに決められたことだけを指示する人も目立つ。元・下請間の関係がドライになった結果、現場作業の柔軟性がなくなり、手直しなどが増えている」と危惧する。
先日、3歳になる息子に自分が働く工事現場を見せた。無理に3代目にしようなどとは思っていないが、息子たちの世代が自然に働きたいと思える建設産業になることを願い、これからも誇りを持ってとび職を続けていくつもりだ。
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