建設会社で経理畑を歩んできた開高人志さん(仮名)。大学は経済学部に進み、もともと証券会社や銀行への就職を希望していた。ものづくりに関心があったわけではなく、どの会社に入っても「経理をしたかった」という筋金入りだ。
入社後3年間、首都圏の営業所で営業事務を経験した後、地方支店3カ所で経理を担当。日常の出入金管理や帳簿付け、伝票整理から四半期ごとの決算表作成などと締め切りに追われる日々を送った。経理は社内でお金を処理する「最後のとりで」。「相談もよく受け、いろいろと情報が集まってくる。『経理が言うなら』とある意味、決定権も握っている」。
転機が訪れたのは、入社13年目だった。西日本のある支店で経理を任されていた時に、海外事業を手掛ける本社の部署への異動を打診された。「希望していなかったので正直驚いた」。会社が海外事業を積極展開する時期と重なり、国際部門の事務系社員が足りず、自分の経験とスキルが必要とされたのだ。
海外事業の担当部署だけに、勤務先は国内だけでは済まないだろうという予感があった。家族のこともあり、2カ月ほど返事を待ってもらったが、「国際経理は日本円だけでなく外貨も扱っている。より複雑な経理で今より面白いかもしれない」と引き受けた。
当初の約束では、本社に1年いる予定だったが、東南アジアでその国最大級の発電所建設工事を受注し、異動から5カ月で現場の事務長として赴任することになった。現場は首都から東へ約1000キロ。家族を連れて行ける生活環境ではないと判断し、単身で海を渡った。
事務長は、現場の総務、労務、人事、経理を担う事務屋のトップ。経理の経験しかない上に言葉の不安も大きかった。「英語は中学校教育レベル。どうせならゼロからのスタートとなる現地語を覚えよう」と奮起し、独学の末、3カ月後には日常会話を習得した。単純な事務手続き一つにも言葉の壁はつきまとい、「身振り手振りを交え、時には絵も描いてコミュニケーションを図った」。
資機材調達に関わる輸出入の手続きは、海外の事務屋ならではの経験だ。現地側の通関事務所が難所で、「所長が不在だから、きょうは取り扱えない」と引き渡しを拒否されたことも少なくない。「会社は仕事が1日遅れると数百万円単位の損失になる。とにかく急いでくれ」。通関事務所のスタッフに現地スタッフと共に詰め寄り、何とか機材を間に合わせたこともあった。
文化も習慣も違う現地では、日本人の考え方の方が特殊だと分かってくると、仕事の進め方も徐々に変わってくる。言葉も満足に通じない環境に身を置き、毎日の作業を支える事務仕事や多くの現地スタッフを一人で切り盛りしたことで、ものづくりの面白さを初めて実感できたという。
完成を見届けるまで現地に残り、赴任期間は5年に及んだ。「中堅の事務屋が研修も受けずにいきなり海外の現場を任されるのは当社では珍しい」というが、「挑戦する気持ちさえあれば年齢は関係ない」とも。伝道師のつもりになって、帰国後は自身の体験を語る機会を増やしている。
苦労した分の何倍もの達成感が自分を熱くさせる。そんな魅力が海外事業にはあると思っている。「機会があればまた海外で働いてみたい」。今は静かにチャンスを狙う日々だ。
挑戦する気持ちさえあれば年齢は関係ない |
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