自分に合った仕事や幸せな働き方とはどういうものなのか--。フリーランスの画家として活躍する塩谷歩波さんは学生時代に建築を学んで設計事務所に就職し、休職期間を経て東京・高円寺の小杉湯の番頭兼イラストレーターへと転身した異色の経歴の持ち主です。「失敗を繰り返した先にこそ価値あるものがある」と話す塩谷さん。これまでのキャリアを振り返りつつ、仕事や働き方への思いを語っていただきました。
家族とよく出掛けた美術館での絵画鑑賞などを通じて、絵を描くことへの思いが強まりました。学生時代は建築を学び、設計事務所へと就職。設計事務所で働いていた時は、クライアントの方と親交を深め、新しい建物を共に考え出す時間が好きでした。
反対に会社という組織が私にとって合わないとも感じていました。アイデアが採用されるまでにいくつもの会議を重ねる必要があり、意思決定にも時間がかかります。若手のうちはやりたいことをなかなか任せてもらえず、雑務が多いなど、縦社会への苦手意識もありました。
企業人として働き続けられませんでしたが、今でも建築を続けていたらと思うこともあります。建築界には優秀な人がたくさんいて、その環境で働くということはとても勉強になりますし、いろいろな力が付くと思います。
銭湯によく通うようになったのは設計事務所を休職していた頃です。名前も知らないおばあさんとふとした時に交わす会話など、ちょうど良い距離感が人とのつながりを感じさせ、ほっとできる銭湯が癒やしの場でした。
そんな銭湯の空間やそこにいる人々をアイソメトリックという図法で立体的に描いてみようと思いました。発表したイラスト集『銭湯図解』では、建物だけでなく、そこにいる人たちも一緒に空間全体を俯瞰(ふかん)して見ているように描き、銭湯の魅力を伝えています。
この描き方は、大学時代の恩師である入江正之先生の「人がいない建物は死んでいる」という教えが強く影響しています。実際にその場所に滞在し、その建物を研究することもあります。空間の使い方を人のいる位置や立ち振る舞い、表情などで説明的に表すことも意識して描いています。
その後、小杉湯さんにお声掛けいただき、番頭に転職しました。番頭をしていると、今まで接する機会がなかった幅広い年代の方たちとお話しする機会が多くありました。特にうれしかったのはいつも番台越しに挨拶(あいさつ)をしてくれるおじいさん、おばあさんたちとのやりとりを通じて、人とのつながりを強く感じることができたことでした。設計事務所にいた頃に好きだな、向いているなと思っていたことと、つながっていると思います。
仕事も含めて居心地が良いと思える場所と出会うためには、とにかくいろいろな場所に行ってみる、失敗をたくさんして、トライ&エラーを繰り返すことが大切だと思います。失敗を経験しないとその場所や人、環境の価値に気付けないと思います。失敗はできるだけした方が良いと考えており、失敗を繰り返しながら手に入れたものはとても尊く、価値があると思うのです。
仕事をする上で大切にしていることは謙虚。30歳前後で『銭湯図解』を出版してテレビにも出演し、フリーランスとなりました。こんな生き方をするなんてそれまで想像もしていなかったので、仕事だけでなく私生活でもうまくいかないことがありました。それを友人に相談すると、「歩波さんは少し傲慢(ごうまん)になっているよね」と言われました。この言葉によって、一人で何でもできると思っていたこと、また無意識に人を見下していたと反省しました。
自分はできないことの方が多いということに気付かされました。それ以降、すごく気持ちが楽になったのです。自分自身の価値観や考え方を変えてみたり、柔軟にしてみたりすることで良い方向に物事が進んでいったのだと思います。
何か壁にぶつかった時、基本的には一人で解決しようとしません。友人に相談したり、いろいろなことを話したりすることで乗り越えたこともあります。解決できず、逃げたこともあります。一人で抱え込んで誰にも相談しないで決めると、心の負担が大きくて後々大変になってしまう。どんな問題でも解決方法は一つじゃないですし、経験もないのに一人で解決できるわけない。いろいろな人から話を聞いた方が多角的に考えられると思うのです。
転職や休職で悩んでいる人には、違う逃げ道もあるということを伝えたいと思います。私は会社という組織自体に自分が向いていないと考えていました。そう感じる人は少なくないでしょうし、単にその会社とその人が合わなかったということもあるかと思います。それは必ずしも、自分自身に問題があるというわけではありません。
休職をしていると、どうしても自分が悪いと思い込んでしまいます。休んでいることに罪悪感を抱いたり、頼まれた仕事もできず社会人失格だと思ったりすると、視野がものすごく狭まります。私自身、転職後の方が面白い人生を歩めており、休職をして悩んでいる人たちはあまり自分を責めないでほしいです。
何か決断をする時に大切にしているのは、しっかり悩むこと。休職していた時は、無理やり悩まないようにしていました。人は悩める時にはしっかり悩んだ方が良い方向に向かい、時間をかけて悩んだ上で出てくる答えの方がより大切なものになると思います。
これからもっとたくさんの建物を描いていきたいです。『銭湯図解』や『純喫茶図解』といった発表作品のように、『○○図解』シリーズを続けたいと考えています。失ってほしくないものを書き残すということが、私の創作意欲の根幹にあるのだと最近気付きました。お寺などの古い建築物、地方にある小さい映画館や寄席、市が運営しているような公衆浴場のほか、海外の建物や誰かが残したいと思っている建物も描いてみたいと思っています。消失した建物でも写真と図面があれば描けますから、作品の中でその空間を復元するということにも挑戦したいです。
絵以外では自分のアトリエを持ちたいという夢もあり、仕事場だけでなく半分はカフェのように人が集まる場所にしたいと考えています。小さい頃から家族で美術館へ行くのが好きだったので、自分の絵もどこかの美術館に飾ってもらえたらうれしいです。
作品を描き始める時はいつも面倒くさいと思ってしまいますが、始めてしまえば楽しくなり、やる気が出てきます。創作過程で一番好きな作業は色塗り。私の手で美しいものを創っているのだと実感でき、気持ちがすごく良いのです。この最高の瞬間があるから、大変なことがあっても続けられるのだと思います。
(えんや・ほなみ)東京都出身。早稲田大学大学院(建築学専攻)修了。設計事務所を経て小杉湯の番頭兼イラストレーターに。現在はフリーランスの画家として活躍中。趣味は読書、茶道、料理など。『塩谷歩波作品集』(玄光社)を8月27日に出版した。
from 人事・動静 – 日刊建設工業新聞 https://www.decn.co.jp/?p=167904
via 日刊建設工業新聞
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